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推そうと思ったアイドルがすぐに卒業しちまう、俺のヤなジンクス

「推しは推せるうちに推せ」。

誰が言ったか知らないが、今世の中に居る
すべてのオタクたちが胸に刻んでいる
屈指の名言である。

この言葉の重みを、
私は最近切実なまでに感じるのだ。


実を申せば、私も一時期はアイドルが好きだった。今でこそミスチル・ヒゲダン・スピッツを主軸としたバンド支持路線を突っ走っているが、中学生時代、AKB48の全盛期には周囲に同調してしっかりと48グループを推していた時期があった。

ただ、そこにはかなりの制約があった。なにぶんド田舎で生まれ育ったもので、応援できる唯一の機会といえばCDを買い集めるかテレビで目にする、ラジオで歌を聴くぐらいのものだった。自慢ではないが、握手会というものにも一度も足を運んだことはない。そんな金は無い。なので、小遣いを細々貯めてやっと一枚CDを買って、それで総選挙に投票する・・・みたいな、可愛い小僧のような応援の仕方をしていた。

今も、日向坂46や櫻坂46は細々とだが応援している。テレビのバラエティ番組でよく見かけたり、楽曲が好きだったりするので、購買やイベント参加とまではいかないものの陰ながら応援をさせていただいている。


ただその一方、最近ある現象が顕著となっている。それは、「自分が好きになったメンバーに限ってすぐに卒業してしまう」というものだ。これにはまいった。何というか、やるせない気持ちになってしょうがないのだ。これから応援しよう!という時に即巣立って行ってしまうものだから、気持ちがすごく落ち込む。

中でもショックだった一件がある。

けやき坂46(現・日向坂46)を知った当初。私は柿崎芽実というメンバーに魅了されていた。彼女は、グループの中ではいわゆる「ぶりっこキャラ」を確立しており、のちに日向坂46へと改名されたグループ全体の売り出し戦略にも大きな影響を与えた人物である。私は、ひらがなけやきの冠番組をたまたま見たときに、その愛らしさにハートをガッツリ撃ち抜かれた。あのあざとさを生で喰らえば、どんな男でもひとたまりもないだろう?と思うぐらいだった。

しかし、だ。私が本格的に「柿崎芽実推しだっ!!」と公言しようとした矢先に、彼女は卒業していってしまった。そのことがとにかくショックすぎた。様々な事情があって卒業したのだが(気になる方はご自身で調べてください)。あまりにもうやってらんなくなっちまったもんだから、当時脚本制作の授業を受けていたので、そこで彼女を当て書きしてシナリオを一本書いた。
割と高評価だったのは余談である。

もし彼女が今でも芸能界にいたら。そう考えない瞬間はない。もしかしたら、世の「あざとさブーム」に乗っかってとてもいいブレイクの仕方をしていたかもしれない。もっと早く世間に見つかって、もっと広く世間の人々に愛されていたかもしれない。でも、ifを語っても彼女が戻ってくるわけではない。現実は現実、である。

このことは本当に悲しかった。
わりと堪えた。


なので、今では「誰が好き」とはあまり絞らないようにしている。できるだけ箱推しで。贔屓の子も複数作って。「推しの子即卒業」のジンクスを成立させないための防衛策をとっている。

正直なところ、一生アイドルで居続けられる人間はそう多くはない。大抵は新しい道に進んで芸能界に残るか、きっぱりと引退して一般人に戻るかの二択である。そして、後者を選ぶ子は確実に多い。近年は48グループ出身のメンバーがアイドルの再就職を支援する活動を始めて、メディアに取り上げられるなどしていた。グループ系のアイドルがいまだに氾濫する中、そろそろ多人数であることによって生じる軋みを認め、支えようという人間がいることに私は少し安堵を感じている。

そうなると、我々推す側の人間の覚悟というものも大いに問われている気がする。この時間が永遠に続くわけではないことを承知の上で、それでも私たちは輝く彼女たちのためにできる最大限の手段で応援をする。そして、アイドル生命の限界というものを認め、推しが選んだ道を肯定し、後押しすること。できることはもうそれしかない。間違っても非現実的な行動に走ってはいけない。

なんだか終盤はタイトル以上に壮大な話になってしまったが、とにかく言いたいことはただひとつ。「推しは推せるうちに推せ」。これに尽きる。



おしまい。



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