#父親の記憶はいずれ薄れていくけれど
父親が私にはいない。
正確に言えば、「いた」。
父と母は幼少期に離婚をした。
当時は福岡の太宰府に住んでいたのだが、離婚を機に母方の実家に移り住み、そこから高校卒業まで母と生活を共にしてきた。もう父親の顔すら覚えていない。父方の実家もわからない。
最後にあったのはいつだ?小学生の時、急に夜中のジョイフル(九州のファミレス)に母に連れられて行って、なんかよく覚えていないが談笑をして、そのままさようならしたのが最後だと思う。あの時何を食べたのかもはっきりしないし、何を話したのかもまるで思い出せないが、帰りがけ父親に「バイバイ」と手を振ったことだけは今も鮮明に自分の脳裏に焼き付いている。
結果として私は母方の実家の愉快な面子と、母の友人の芸術的センスをたっぷり持ち合わせた皆様のおかげで、一端のクリエイターもどきにまでなることはできた。ただ、もし父親と三人で暮らしていたら、というifの世界を最近たまに想像することがある。
あの人は今どこで何をしているんだろうか。
もしかしたら母はどこかで父親と会っていて
自分のことを話しているのかもしれない。
そんな想像を何度か膨らませたこともあるが、大人になった今ではその辺の複雑な事情もわかるようになってきて、そんな可能性がちっともないことも理解できるようになった。
いつか「探偵!ナイトスクープ」に「父親を探してください」と依頼してみようかとも思っているが、そのいつかがいつ来るのかは自分でもわからない。こればかりは自分のフィーリングに委ねるしかないだろう。
ゆえに、父親とか家族とか
そういう暖かい環境を形成することには
人より憧れていると自分では思っている。
先日、京都へ行く途中。
いつものように京阪電車の特急に乗っていたのだが、その日は私の隣の席に娘さんを連れたお父さんが乗ってきた。席は通路を挟んで隣も空いていたのだが、小さな女の子は「パパの膝に座る」と言って、ちょこんとお父さんの膝の上に座って窓の外を見ていた。
何だか、その姿にほっこりしてしまって。
お父さんに「あれは何?」とか「今どこなん?」とか、舌足らずな喋り方で尋ねる女の子の姿に少し憧れの家族の姿が重なって、思わず私は目を細めた。ゴツゴツとした手で娘をしっかり抱くお父さん。その手でこれからも大切な家族をしっかりと守っていくんでしょうね。
人の人生まで背負って生きるのは大変な時代。守るべきものは少ない方が身軽で気楽かもしれない。でも、守るべきものがあったほうが人は強く逞しくなれる気がする。あの日の父親の姿は、私に「自分が守りたいと思ったものを守れ」とそっと示してくれているような気が、今はしている。
自分もそんな暖かく強い父親になれるだろうか。
なってみなきゃわからないことが
人生にはまだまだ多い。
おしまい。
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