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#なくなるものへのレクイエム #3『近所のラーメン屋』

なんで日本人は
古くなったものをそのままに使わないんだろう。
そんな疑問が、ずっと昔から私の中にあった。

昔、東京の国立競技場が2020東京オリンピックに向けて建て替えになる時も、正直その意味がよくわからかった。そんなにレガシーレガシーと言うなら、前大会で使った財産をそのままに使えばよかったのに。なぜわざわざ高い金をかけて新しいモノを作りたがるのか。

器だけ変えても、いい思い出が簡単に出来るわけじゃないのに。その古い器に詰まっっていたはずのたくさんの思い出まで、バラバラに壊されてしまうような錯覚に陥るのだ。考えすぎじゃない?新しくなることはいいことじゃない。って言われても、こればかりは腑に落ちない。


ここで大きく話は変わりますが。

最近、うちの近所の古いラーメン屋が
リニューアルオープンしたんです。

大阪に引っ越してきて以来ちまちま足を運んでいた、駅から一番近いラーメン屋。気さくなおばちゃんが営むその店は、なんだか古ぼけていて決してキレイとは言えなかったが、なぜか不思議と印象に残る店だった。

しかし、コロナでぱったりと行かなくなり、そのうちにだんだん営業時間が短くなり、店を開ける日も多くなっていたので、とうとう畳んでしまったのか?と思っていた。そしたら、今度はその店で改装工事が始まった。店の看板はそのままで中の内装だけ色々弄っていたようで、毎日大学生ぐらいの若い人が沢山出入りしていた。

新しくなったそのお店は、どうやら学生起業した人たちがやっている今どきのラーメン屋という感じに大きく様変わりしているらしい。

たくさんいいねを貰えそうな「インスタ映え」する凝った内装と、有名店のレシピをのれん分けしてもらった確かな味(まだ一回も食べていないのでどんなのか知りませんけど)。

何というか「こういうのみなさん好きですよね?このラーメン屋なのに映える感じ?新しい感じ?カッコいいでしょ?ヤバいっしょ?」って、こちら側の心を見透かされてるような気分になって、シラケちゃうのです。なんか、僕あまのじゃくですかね?でも、どうしてもあの店のラーメンを食べる気になれなくて。

なんか、ラーメン以外にも注目されるポイントを作って小手先だけで上手いことやってるような印象があるんですよ。それなら、もっと味とかラーメン自体にこだわって欲しいかなぁ。って。私もnoteで食べたラーメン紹介しているだけに、ちょっと残念だなと。


やっぱり、僕の脳裏にはあの熱い夏の日におばちゃんの店で食べた、アツアツの味噌ラーメンをどうしても思い出してしまうのです。

あの昭和の熱い学生街の片りんをちょっとだけ見せてくれるノスタルジックさが、チープなラーメンを何倍も美味しく感じさせたのです。恋しい。でも、もう今同じ場所にもう一度足を運んでも、懐かしさはひとかけらも残っていない。

時の流れの側に佇んでいれば、
何もかも変わっていくね。
空しいけど、それもまた仕方のないことか。

こうして私はきょうも、映えるラーメン屋を
素通りして、我が家に帰っていくのだった。



おしまい。



#なくなるものへのレクイエム
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