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私たちは思考しているのではなく、ただ目の前の現象に反応しているだけ

私たちは、毎日何かを一生懸命考えている様に思えるが、でも、実際には意外に何も考えていなかったりする。

考えたり、思考した気になっているだけで、意外に私たちは何も考えていない。考えた、思考したってことに満足して、ただその行為している自分に満足しているだけで、頭の中は特に何も考えてはいない。

私たちは、ただ毎日自分の目の前に起こる色々なものから刺激を受け、ただそれに反応しているだけ。私たちはただ反応しているだけで、思考している訳ではない。

ある対象に対して、反応を起こしているだけで、その対象と対峙し、何かを考え問うという事はほとんどしていない様に思ったりする。

今の私たちにあるのは、反応だけで、思考なんて道具は持っていない。何かがあれば、私たちはただそれに反応してそれをあーだのこうだのと言っているに過ぎない。そこに建設的な議論が交わされる事なんてない。

世間を見回してみると、皆ただ自分の目の前にある現象に対して反応しているだけで、ただその意味のないやり取りをしているだけで、そこには、何も建設的なものは生まれない。

反応と反応がぶつかって、そこに感情が混じり合って、その互いの感情をぶつけ合っているだけ。こんな事で本当にこの世界は良くなるのだろうか?

何の建設的な議論もなされぬまま、ただこの反応のぶつけ合いしかしない今の私たちに、果たして期待する様な未来など訪れるのだろうか?

自分の目の前にある刺激に対して反応しているだけでは何も現状は変わらない。私たちは、もっと高い位置で議論し合わなければいけない問題を沢山持っている。

自分の目の前にある刺激に対してあーだのこうだの言っている間に、世界はものすごいスピードで進んでいく。

私たちは、本当に狭い世界、狭い価値観の中に生き、(特に日本人)この世界が今どのような状態にあるのか?を、この世界の動向を何も知らない。

顔も知らないどこかかなたの人の事は気になるくせに、世界の動向には一切目を向けようとしない。

色々な人のSNSは気になるけれど、この世界で何が起こっているか?は一切気にならない。

自分のSNS映えは気にするけれど、世界各地で起きている事は全くもっても関心。

私たちは一体どうしてしまったんだろう?もっともっと世界に広く目を向けよう。自分のSNS映えを気にしている時点で、自分のその生きている世界がいかに狭いか?を私たちは知るべきなんじゃないだろうか?

自分にしか興味がないなんて、本当に生きている世界が狭すぎる。そんな事をしていたら、何も知らない内に、自分でも想像できない世界に追いやられる。

もっと意識して世界に目を向けよう。色々な事を自分の目で見て、調べて、頭でかんがえよう。何でもかんでも今此処に在る情報を鵜呑みにするんじゃなくて、自分の頭で考えよう。

自分の事にしか目が向かなくなった時、人間はその視野を一気に狭める。そして、盲目的になり、周りにある世界の事を何も見ようとしなくなる。

この世界は一人だけの世界じゃない。色々な人が住んでいる。それが地球。もっと物事を広く、大きくとらえて欲しい。

自分、自分ではなく、もっと外の世界に目を向けて。


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