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見ない、聞かない、言わないで私たちは死んでいく。

見ざる聞かざる言わざる。こういう言葉があるけれど、これってまさに私たち。

自分に都合の悪いことは何も見ようとせず、聞こうとせず、言おうとせず、そして今年が終わる。

皆、猿だ。

見なきゃいけないことから目をそらし、聞かなきゃいけない事から耳をそらし、そして言わなきゃいけないところで口を閉じる。

そうやって一年立派に生きてきた。

ねえ、知ってる?わたしたちは、毎年そうやって自分を偽って死んでいることを・・・。

習慣とは恐ろしいもので、これを私たちは毎年無意識にやっている。

そして、年の最後の日、一瞬だけ自分の頭の中をよぎるものがある。

あれ?今年自分は自分を生きたといえるようなそんな瞬間があったかな?って。

この時、3秒くらい考える。でもって、もう次の瞬間には何も思いだすこともないし、考えるのがつらいから、まあいい歳だったかなんて自分に都合のいい話にして終わる。

今年も確実に死んだなんて誰もが思わない。

死が毎年、毎年、溜まっていく。そのことに何の違和感も覚えない。死んでいるのに、生きているという妄想が強すぎて、毎年、死んでいるというこの事実が自分の中にたまっていくことが何も実感出来ていない。

私たちは死んでいる。毎年、死に向かって進んでいる。でもその死は、生きているという狂気に近い妄想に打ち消されて何も見えていない。感じることもできていない。

来年はこの生きているという狂気に近い妄想を捨てることが出来るだろうか?この妄想を捨て、死というものから逃げずに、一年この死とじっと私は逃げずに向き合い続けることが出来るだろうか?

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