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私たちは、不安があるから壊れる。恐怖があるから壊れる。

毎日毎日、沢山の恐怖が私たちの生活に迫ってくる。その恐怖が、分断を生み、この世界はバラバラになってきているんじゃないだろうか?

私たちの生活とは、常に恐怖と隣合わせ。この恐怖が、この世界を分断させてきた事は間違いない。

個人の心にある不安や、恐怖心。これが、この世界を今ものすごい勢いで引き裂いている。どの人の心にも、不安や、恐怖というものはある。これをそれぞれの人が、自分で克服する事が出来なければ、この世界は更に拍車をかけて引き裂かれて行くのだろう。

私たちは、怖いから、目の前にあるものが自分にとって都合が悪いから、それを自身に統合する事が出来ないから、自分を二つに分断して、自分が受容出来る方に、自身を同一化させる。それで、何もかも済んだのか?もう不安や恐怖はないのか?というと、実はそうではなくて、二つに分断して、自分に都合のいい方に同一化した途端に、又違う不安や、恐怖心が自分の中に芽生えてくる。そうなると、今同一化している自分を又分化させる必要がある。そして、自分に都合の悪い部分は、自分から切り離し、都合のいい部分に、又自分は同一化する。そんな事を繰り返して、私たちは、自分というものをどんどんと狭めていく事になる。

私たち人間というのは、どんどんとこの自分の足場というものを自身で狭めてしまっている。自分にとって都合の悪い部分は全部切り捨てて、都合のいい部分に同一化する。それを繰り返し、気づいた時には、もう片足でしかたつ事ができないほどに、自分の足場を削ってしまっていたりする。

この何処までも削り取って小さくなってしまった足場を補強する為に、わたしたちは、ペルソナというものをつかう。このペルソナを使って、少なくなった自分の足場を補強する。何でもいいから、とりあえず足場になるものを持ってきてくっつける。そうする事で、小さくなった足場は大きくなる。

自分で作った足場で長く生きてくれば、いつからか、その足場が自分の中で最初から存在していたものの様な錯覚を私たちは起こす事になる。

全く異質なものをくっつけて、とりあえずの足場にしておいたものが、いつからか、自分の本当の足場の様に感じる様になっていく。そうなると、その自分で取り合えず作ったその人工的な足場を私たちは手放せなくなる。その足場を自分が元から持っていた足場であると、そう勘違いを起すからだ。

私たちは、自分で作った人工的な足場にただ執着しているに過ぎない。その人工的な足場は最初からあったものではなく、自分で自分を補強する為に作ったものだという事を私たちは知らないといけない。

もっと言えば、何故、自分は、自分で自分の足場を補強しなければならなかったのか?という事まで、本当なら突き詰めて考えていかなければいけない。

何故、この様な事を自分がしなければならなかったのか?その理由、原因を突き止め、今ある自分にどう対処するのが一番ベストであるのか?それを私たちは考えないといけない。

盲目的に自分の足場を作っていたかも知れないが、その足場が、本当に脆いものだという事も、私たちは知らないといけない。とりあえず何でもいいから、くっつけて、自分の足場を補強したつもりになっているかもしれないけれど、意外に、自分で補強したと思っているその足場とは脆かったりする。

私たちは、そこら辺にあるものを単にくっつけているだけであって、そのくっつけたものは、何かの振動ですぐに剥がれて落ちてしまう。

何でもかんでもくっつけて、自分を補強すれば自分は強くなるとそう思っているかも知れないが、実際は、意味のないものをくっつけても、何の力にもならないという事を知ってもらいたい。

意味のないものを自分にくっつければ、その意味のないものが、自分に良くない影響を及ぼす事は間違いない。

自分をよく知った上で、自分を補強するという事が出来なければ、自分とはいとも簡単に崩れてしまうものだという事を知ってもらいたい。

見た目が大きくても、それがそれなりに機能していなければ何の意味もないのだ。

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