リアルとバーチャルの混同が生む悲劇
今現代に生きる私たちは、形がきれいに整ったものしか愛せなくなっている。そんな気がする。何もかもがきれいに整っているもの。それを賛美する傾向が強い。形が崩れたものや、自分達に都合のいい形を取らないものを私たちは排斥する。
何でもかんでも自分の思い通りになどならない。でも、私たちは何でもかんでも自分の思う様に出来るとそう思っている。私たち人間は、同じ人間である他者を自分の思う通りに出来るとそう信じている。自分の思う形に相手をする事が出来るとそう思っている。何でもかんでも、自分の思う様に出来る。こうした考えは、今の私たちがするゲームに原因があるそんな気がする。
私たちが手に取るゲームは、何でも自分の思う様にカスタマイズできる。つまり、ゲームの中では私たちは何も我慢などしなくていいという事になる。何でもかんでも自分の思う様に、ゲームの中のキャラを作り上げていく。そして、その自分で作ったキャラクターを自分の好きな様に操作する事が出来る。画面の中のキャラクターは自分の思うがままに動いてくれる。
こうしたゲームの中の生き方そのものが、この現実社会の中に反映されているそんな気がする。
私たちは、この現実世界の中にありながらも、その頭は未だゲームの中と言えるのかも知れない。ゲームの世界と現実世界の境界がなくなり、私たちはそこに見境がつかなくなっているのかもしれない。だから、この現実世界で自分に不都合な事があると、その不都合なものを徹底的に排斥する。
私たちはゲームの中に入り、そこの住人になることで、自分でも知らない内に、自分の思い通りに出来ない事を我慢する事が出来ない人間になってしまったのかも知れない。何でもかんでも、自分の思い通りにならないと満足する事が出来ない。そう言った人格がゲームの世界の中で自分でも知らない内に作り上げられてしまったのではないだろうか?
今この世界に生きる私たちは、自分の思い通りになるものしか認めないし、愛さない。自分の思い通りにならなければ、そう言うものは、皆クズという事になる。
科学が台頭し、テクノロジーが発展し、生活が豊かになった分、私たちは何をするにも、我慢するという事をしなくなった。何でも自分たちの思う通りに出来る。そういう世界に今私たちはいる。でも、この世界は、私たちに何でも自分の思う様にコントロール出来なければ嫌だ!というわがままながまんならない人間を作ったのも又事実だ。
私たち人間というのは、何でもかんでも自分の思い通りにしたがる。それが今は大きく広がって、人間さえも、自分の思い通りにしたがる。あの人が自分の思った事を言わないから気に入らないとか、自分の持っているイメージ通りに動かなかったからとか、そう言った理由で、私たちは駄々をこねてあばれる。何でも自分の思う様に出来るという妄想が、自分以外の相手の在り方さえも受け入れる事の出来ない狭い価値観を持つ人間を作ってしまったのだろうか?
私たちをこうした狭い価値観の中に落とし込んでしまった原因は、ゲームだけではない。科学の発展により、生活が豊かになりすぎた分、私たちはキャパの狭い人間になってしまったのかも知れない。
科学、テクノロジーの発展がいけないという訳でもないが、こうしたものの導入により、人間が以前にも増して脆弱なものになった事は間違いない。
何でもかんでも自分の思い通りにならなければ、満足できない。イライラする。そう言った人間がこの社会には今溢れかえっている。そんな気がする。
人が人を自分の思い通りにする事なんて出来ない。私たちは人間であり、ゲームの中を生きるキャラクターとは違う。この区別が出来なくなった時、人間は本当に恐ろしいモンスターになる。
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