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MATRIX 私たちは幻想の中

stay at home。そう言われ、私たちは行動を大きく制限され、そして色々な意味でこれから自粛を求められる。でも、この自粛に私たちは一体いつまで耐えられるだろうか?

家にこもってこういう時ほど、自分を内省し、そして新しく目覚めるべきだ!なんていわれるけれど、そもそも、私たちは自分と向き合いたくないから、外に外出するのだ。

自分の心となんて向き合いたくない。そんな事をしてしまったら、自分を保つ事が出来ない。その苦しみで自分が潰れてしまう。だから、そんな自分から目を逸らすかのように、私たちは外の世界に出て行く。

自分の内側なんて頼まれても覗き込みたくない。自分と対面して、自分を知るという事。これが人間にとっては時として、一番の苦しみだったりする。

これが自分か・・・・とそう認識したくなくて、自分で幾重にも着飾った自分を自分としたいから、私たちは今日も街に出て、自分をよく見せる為の装飾品を買いあさる。

私たちは自分と向き合いたくない。自分と向き合って、本当の自分というものを知りたくない。本当の自分を知って、その自分に落胆したくない。だから、自分で自分に都合よく作り上げた自分を愛していたりする。

今こうした時期にあり、誰もが、ぽっかりと開いてしまった時間を意外に持っていたりする。そんな時に、自分について考える。でも、その自分について考えるという事が、これが又意外にきつい。

自分のこれまでの生活の何もかもその全てを振り返ってみた時、何故か、この心が痛む。自分でこれでいいと思って決定し、そして生きてきたはずなのに、まざまざとこれまでの自分の人生を振り返ってみたら、意外に心が痛い。

自分の好きな様にこれまで生きてきたつもりなのに、自分は何も自分の好きに生きてきた訳ではなかった・・・。自分について考えていると、意外にそんな事に気づいたりする。

何もかも自分の選択と決定によって、してきたはずの事が、どれもかも自分の選択と決定によるものではなかった事を知った時、私たちのこの足は大きくグラつく。

あれ?自分は一体何をしてきたんだろう?これまで自分は何を見てきたんだろう?まるで自分がこれまで夢の中にいたかのような感覚を私たちはこの体に覚える。

何もかも自分の自由意思というもので決めてきたはずなのに、そのどれもが、自分の気に入ったものではない。これまでの自分の在り方を全て紙にリストアップしてみたら、そのどれも自分の自由意思によってえらばれたものではなく、ただ何となく社会の在り方に流されるままに、親や他が言うがままに、自分がその全てを決めていたことに私たちは愕然とする。

今コロナで大変な事が日々世界中で起こっているが、この影響を受けて、私たちはこれまでの自分自身を見返すという事も求められているのではないかと感じる。

これまでは自分を見返す必要などなかった。ただ前だけを見て歩いていればよかった。でも、これからはそうはいかない。ただのほほんと呑気に道を歩いていられるほど、この世界は平和ではなくなるからだ。

何もかもこれからは自分に必要な事は自分でしていかなければいけなくなる。自分を救うのは自分しかいなくなる。だとしたら、自分の過去をさかのぼり、自分に何か不都合な事があるのなら、それを修正しておかなければいけない。

何か自分の中でおかしなことや、間違っているな!と思う事があったのなら、それを自分で早期に見つけ、それを自分の中でしっかりと正しておかなければいけない。

私たちは意識して生きている様に思っているだけで、何も意識などせずに、殆ど無意識的な状態でこれまでの世界を生きてきた。

自分の力で生きている様で、でも、実際は、この社会の力によって私たちは生かされていただけ。

自分で考えているとそう思いながら、でも実際は私たちは社会の言うがままにコントロールされていたに過ぎない。

何もかも自分で決定などしてはいず、外部の力に上手い事誘導され、それを自分が決定したかの様に思い込まされていただけ。

自分に力がある様にそう思いながら、でも、その力というものを私たちは実際には、何も持ってはいない。持っているとそう思い込まされているだけ。自分が力を持ち、その力を自分が誇示しているとそう思っているだけ。全てがまやかし。私たちはまやかしの中で生きてきたという事になる。

私たちはこの今のこうした状況の中で、自分に力を取り戻す事を求められているのかもしれない。

これまで軟禁状態の中にあった私たちは、その軟禁状態の中から、今こそ、自分の力で外に這い出なくてはいけないのかもしれない。

私たちがこれまであると思い込んでいたもの、そのすべてがまやかし。私たちは何も持っていない。何も成してはいない。私たちが何かを持ち、そして何かをなしたと思うのは、そう単に思わされているだけであり、その手に持つものはただの幻想でしかない。

私たちはその幻想を掴まされ、それをあたかも現実の様に見せられているだけだ。

この幻想の中から、いち早く逃れろ!でなければ、私たちはこの幻想の世界の中で飼い殺しにされる。

何もかも思い込まされているだけ。私たちはあらかじめプログラムされた世界に生きているだけ。私たちは自分の意思など持ってはいない。私たちが自分の意思だというものは、すでに全部コントロールされ、そして誘導され、決定されたものにすぎない。自分で決めたのではなく、強い支配下の元にあり、それにただ流されるがままに私たちは選択、決定した様に思い込まされているに過ぎない。これは本当の意味での自由意思ではない。

何も考える事無く、ただそこにあるがままに流され、自分の全てを決定し、生きてきた事に私たちは今向き合わないといけない。

私たちはこの目でしっかりと、真実というものを捉えなければいけない時に今さしかかっている。

しっかりと目を開いて、そしてしっかりとその頭を使って色々な事を考える。考えて考えてどこまでも考え尽くす。そしてその眼もギンギンに光らせて、この世界を見ていかなければ、私たちは、この完全にシステム化された世界からは逃れる事は出来ない。

私たちはこの社会に飼われている家畜同然。その家畜である私たちにコロナは、ある意味大きなチャンスを与えてくれているそんな気がする。多くの人が亡くなった所でこんな事を言うのは失礼な事だと言われるかもしれないが、でも、コロナというピンチは、同時に私たちに大きなチャンスも与えてくれている様に私にはどうしても思えてしまう。


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