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私たちは死ぬために生きている

人間ってのは、とても不思議なもので、死に向かって私たちは毎日を生きている。エントロピーが増大するにつれて、私たちの中に内在する光はその強度を弱めていく。

生きるっていうのは、この心の中に灯った光がある時だとすると、私たちは、毎日少しずつこの自分の中にある光を失っている訳だから、生きながらにして、私たちは死に向かっているという事になる。

私たち人間は、毎日少しずつ自分ってものを失っていく。柔軟だった自分もどんどんと硬化してその中にあるべきはずのエネルギーは、自分でも気づかぬうちにからっからに乾ききってしまう。

そうなった時が、死だと私は思う。

私たちは、毎日自分をたくさんのエネルギーで潤し、活き活きと生活している様に感じてはいるが、実際には、この逆だったりする。

これはちょっと難しい話になるが、生きるという事は、ある意味死に向かうという事になる。言い換えれば、私たちのこの生は、死ぬためにある様な感じになる。

生きれば生きるほどに、死は私たちの近くに近づいてくる。前へ前へと進んで行けば、それだけ早く死というものが訪れる事になる。

私たちは前に前進する事を進化だとそう教えられてきた。だから、前に前に進む事は素晴らしいことっだという観念を持っている。でも、これが意外に間違いだったりする。前にすすむという事は、より深く考えてみれば、意外に退化を示していたりする。

こんな事はあまり信じられないかも知れないが、私たちは、前に進めば進むほど退化していく。進化というのは、私たち人間に退化しかもたらさない。

進化すれば、私たちが本来持つ人間的な力や能力はその進化に比例して衰えていく。

今この現代に生きる私たちは、もう自分が本来所有すべき量のエネルギーを持ってはいない。人間として本来与えられている力の殆どが、この社会の進化と共に、失われつつある。

私たちは、自分の中にもう自分でエネルギーを産み出す事が出来なくなっている。だから、外にあるものに、私たちは依存するしかなくなってしまっている。

自分の中にある豊富な資源、これが今ものすごいスピードで、私たちの体の中から、消えつつある。

人間の体の中には、豊富な資源がたくさんある。でも、それが使われる事無く、今急速に失われつつある。私たちは進化の名の元に、人間としてのその質を退化させつつあるという事になる。

何でもかんでも便利な世界にはなった。でも、それと比例して、私たちは人間としてのその質を大きく損なってしまっている。

自分の中にある光を完全に失ってしまえば、それはもはや人間ではない。いくら人間の体を持ち、意識を持っていると言っても、その中に光を有していなければ、その存在物は、もはや人間ではないという事になる。

私たちは今人間である事から、人間でなきものに進化を遂げようとしている。努力をしなければ、自分の中に灯っている生命の光というものは、段々と小さくなっていってしまう。この生命の火、これを私たちは、小さくしてしまうのではなく、この現世において、大きく、そして力強いものにしていかなければいけないのだと思う。

生きている内に私たちは死を克服する努力をしていかなければいけないという事になるのかも知れない。




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