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私たちが見ているのは、この世界のほんの一部。自分に都合よく切り取ったそのワンショット。それが世界じゃない。全てじゃない。

私、何をこんなに必死になって何かを買おうと、ショッピングモールの中をうろついているんだろう?ふと我に返って考えてみた。

何を買う訳でもなく、ただ無目的に街に繰り出して、ショッピングモールの中をうろつく。一体自分は何をしているんだろう?そう思って、色々な店を眺めてみた。

どの店にも、そうそう変わりのない似たかよったかの商品が並んでいる。どれを買ってみた所でよくよく考えてみれば大差ない気がした。

どの店にも多量の商品が並ぶ。あれだけの商品が、全て売れるわけじゃないよなと思って、ぼんやりと、店の外にある椅子に腰かけて、考えてみた。

店頭に並ぶ多くの商品は皆、その時の流行りのものが置いてある。でも、その流行りは目まぐるしく変わっていく。とするなら、今こうして店頭に置かれているもので、売れ残った多くの物はどうなるのか?それを想像してみた。

いくつも同じようなものがあり、それが売れ残れば、当然そうしたものは破棄される事になる。せっかく多量に生産したとしても、それは皆、破棄される。

私たち人間というのは、必要以上のものを作っては、それを破棄している。最初から、破棄するくらいなら、そんなに多量に作る必要もない気がする。何かを作ろうとすれば、そこにかかる費用もかかるし、そのものを作るには、それなりの資源も、そしてエネルギーも使う事になる。

私たちは、無駄に多くを使って、多くを破棄している。エネルギーを使うのは、作る時だけじゃない。作ったものを破棄する時にも、多量のエネルギーが必要になる。もしかしたら、破棄する時の方が多量のエネルギーを使っているのかも知れない。

いらなくなったものは、溶かしたり、燃やしたり、リサイクルとは言うけれど、町中にある不必要になったものの全てがリサイクルに回されている訳じゃない。

街を見れば、その町中には私たちがいらないと言って破棄したものを燃やした煙が毎日もくもくと立ち上がっている。

何かを燃やせば、そこから真っ黒の煙が立ち上り、その煙は、森の森林を痛め付ける。何かを溶かして、海に流せば、それだけで、綺麗で美しい海は、少なからず何らかの影響を受ける。

私たちは、毎日この世界の美しい部分だけを切り取って、そこだけを見てこの地球は美しいと賛美しているけれど、よくよくこの地球を、そして私たちがとっている毎日の行動を見てみれば、この地球が全くもって綺麗ではなく、汚れ切って、痛みきっている事は想像に難くない

私たちは、何がどれだけ必要なのか?という事を知り、そして自分たちに必要な分だけのものを創り出し、そして消費するべきなのではないだろうか?

多くの物を不必要に作り出すという事は、それだけ、この地球にある多くの資源とエネルギーを使うという事になる。

私たちが無駄に何かを欲しがれば欲しがるほど、この心の中にある欲、エゴそれを先行すればするほどに、この地球は萎えていく。私たちはこの地球から多くの物を奪って、それでこの心を満たしている。

私たちが今考えなければいけない事は、何故、此処までして、多くの物を私たちが必要としなければいけないのか?という事なのではないだろうか?

盲目的に生きていれば、ただただあの大きなショッピングモ―ルの口の中に飲み込まれて行く。そしてあのショッピングモールの中でただおもしろいように踊らされる。

無駄なものを買っては捨て、買っては捨て、それってよくよく考えてみれば、単なる環境汚染に他ならない。多量に物を作り、私たちは環境を破壊する。そして、多くの不要なものを破棄する時に、私たちはこの地球を汚染する。

買っては捨て、買っては捨て、この繰り返しが、この地球を徐々に破壊してきた事は間違いない。こんな事を考えていたら、人間である自分が嫌になった。自己中極まりない人間っていう自分がほとほと嫌になった。欲の塊で何かを買おうと、意気込んでいる自分が嫌になった。

買ってもいつか捨てるくらいなら、何も買わないのがベストなんじゃないかとそう思った。

本当に必要なものだけを買う。そして必要のないものは買わない。自分一人がそうするだけで、この環境保護にどれだけの力を寄与出来るかと言えば、私一人がそんな事をしたところで何も変わらないのかも知れない。でも、私は自分で自分を変えようと思った。

自分一人が意識を変えることで何かが変われば、それでもいいのかと大勢の人が行きかうショッピングモールの椅子に座って考えてみた。



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