自分が何者か分かったときに、本当の人生が始まるのかも
今回も"自由に生きるためのヒント"というテーマで、自分が何者か分かったときに、本当の人生が始まるのかもというお話です。
自分が何者か分かったときに、本当の人生が始まる
好きなことを仕事にしていても、"自分がやりたいことって本当にこれなのか?"と思い悩むことがありますよね。
そういう時は、職を変えてみることも1つの手ですが、”自分は何者か”と考えてみることで悩みの本質が解決するかもしれません。
私は大学を卒業する2015年まで陸上競技を続けていたんですね。
で、引退した後も趣味で試合に出たり母校の後輩の指導を続けていて、今でも100m 10秒台で走れるんですよ。
そうなると、"よっぽど走ることが好きなんだな" "レースが好きなんだな" "指導が好きなんだな"と思うじゃないですか。
でも実際は、死ぬまで延々それをやれと言われても絶対にできないんですね。
自分が何者か分かって、心が晴れやかになった
というのも、2年ほど前に陸上指導を仕事にすることにしたときに自分でも驚いたんですが、なぜか全く楽しくなかったんですよ。
試行錯誤して、"モチベーションの高い子だけを指導する" "チームビルディングをする" "人間教育的な指導もする"といった変化を入れていたんですがどれもピンとこなくて。
なんでだろうとずっと考えていて、最近ついにその答えが出たんですが、どうやら私は"どうやったら速く走れるのか"ということを追求することが好きなんだと。
つまり、自分は陸上競技において競技者でも、指導者でも、教育者でもなくて、探求者だったんですね。
だから、勝ち負けにもそこまで興味ないし、世界陸上とかにもあまり興味がわかなかったんだと気づいて、すべてが腑に落ちたんですね。
その瞬間に、"探求以外のことはやる必要ないや!" "探求者としての評価以外は気にしなくていいや!"と思えたんです。
つまり、"指導下手だな!"とか"人間教育が全然できてないじゃないか!"と仮に外野から言われたとしても、"だって探求者だから"の一言で片づけることができて、ノーダメージなんですね。他は負けてもいいというか、勝負する必要すらないと。
今まで"あれもこれも頑張らなくちゃ!"と思っていたことが嘘みたいに、今は心が晴れやかになったんです。
"〇〇者"をすべて絞り出すと見えてくる
ちなみに〇〇者という言葉は、陸上競技だと他にも監督者・管理者・表現者・発信者・消費者など、多岐に渡るんですね。
辞書には○○者という言葉が1000以上もあるんだとか。
手当たり次第、消去法で探してみるのもいいかもしれません。
まとめ
なので、自分が何者か分かったときに、本当の人生が始まるのかもしれないです。
かの有名な夏目漱石も、
「ああここにおれの進むべき道があった! ようやく掘り当てた! こういう感投詞を心の底から叫び出される時、あなたがたは始めて心を安んずる事ができるのでしょう。(……)もし途中で霧か靄のために懊悩していられる方があるならば、どんな犠牲を払っても、ああここだという掘り当てる所まで行ったら宜しかろうと思うのです」
という言葉を残していますしね。
ということで今回は、自分が何者か分かったときに、本当の人生が始まるのかもというお話をしてみました。
ではまた次回!
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