文字を持たなかった明治―吉太郎17 大家族③

 昭和中期の鹿児島の農村を舞台にして、昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)の来し方を中心に庶民の暮らしぶりを綴ってきたが、新たに「文字を持たなかった明治―吉太郎」と題し、ミヨ子の舅・吉太郎(祖父)について述べつつある

 吉太郎の生年月日家族構成父・源右衞門母・スヱきょうだいなどなどについて記したが、農家の五男として学校に行けず、吉太郎は当時数多いた「子だくさん家庭の跡継ぎではない男児」の一人でもあった。ろくに文字の読み書きもできない人間としてどんな人生を歩んだのか。

 それを探るため、まず家族の状況を見ている(大家族①)。前項では、吉太郎のすぐ上の兄できょうだいで四男の源太郎が、妻を迎え子供ができ戸籍に7人が追加されたところまで述べた。入手できた中で二番目に古い謄本(【戸籍二】とする)を引き続き参照しつつ、次の変化を見ていこう。

 源太郎妻子の次に戸籍に加わるのは、きょうだいでは三男の庄太郎の妻・ヨシだ。「明治四拾五年五月拾五日」(註:1912年、「拾」は十)に、同じ西市來村大里の生家から「婚姻届出 同日受附入籍」している。【戸籍二】上戸主で長男の仲太郎にとって庄太郎は弟、ヨシの続柄は「弟嫁」になる。吉太郎からみれば2番目の兄のお嫁さんだ(二男もいたと思われるが戸籍に記載がないことは「家族構成⑥きょうだい」で述べた)。

 この夫婦は入籍時点で庄太郎41歳、ヨシ30歳と当時としてはかなり晩婚に見えるが、婚姻の届出が遅かっただけで、届出時点ですでに3人の子供を授かっていたようだ。順に書くと、
「ヱダ 姪 弟庄太郎長女 明治参拾八年拾弐月八日生」(註:1905年)
「藤一 甥 弟庄太郎長男 明治四拾壱年拾参月拾八日生」(註:1908年)
「武二 甥 弟庄太郎弐男 明治四拾四年拾参月弐拾参日生」(註:1911年)
である。ヨシと3人の子供たちが加わり、【戸籍二】に記載されている家族は23人中18人になった。

 この子供たち――といっても、庄太郎たちの孫世代である二三四(わたし)にとっては、父親のいとこたちに当たるのだが――については、興味深い記載がある。それに対する考察も含め、次項で少し詳しく述べてみたい。


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