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あとがき(東京恋物語)

合計10話に及ぶ連続小説をアップさせていただきました。読まれた方はお分かりのとおり、当小説の書き出し場面は、千代田区エリアを舞台にしています。というのも昨年、ちよだ文学賞という公募に向けて書き始めた小説だったからです。しかし、締め切りに間に合いそうもない状況から結果的に応募することなく、ここで掲載することにした次第です。

「恋」は魅力的で素敵な言葉。

人それぞれに、いろんな「恋」のカタチがあるからこそ、小説やドラマなどで感動的なストーリーが生まれるのでしょうね。この小説に登場する主人公の小嶋祐太郎は、恵まれた生い立ちで将来は父親の経営するタクシー会社の社長となるべくタクシードライバーをしています。そして、偶然手を上げてそのタクシーに乗り込んだのが、有名女優の新藤奈々子ですが、彼女は不遇な生い立ちで、子供の頃から多くの辛い経験をしています。そんなふたりが出会い、その瞬間で恋に落ちてしまう。

「恋」は瞬間で生まれるアクシデント。

場合によっては、初めて会った瞬間であり、何度も会っていても特殊な場面に遭遇した瞬間に、恋が芽を出すこともある。ある意味、アクシデント的なものかもしれません。ある人は、それを「縁」とでも呼ぶのでしょう。この小説の中でも、奈々子は自動車学校に通いながらドライブテクニックに興味を持っていたところ、祐太郎によるカーチェイスやスピンターンを偶然にも目の当たりにする場面や、マスコミの取材をかいくぐって棺桶に入れた状態で奈々子を自宅マンションへ送り届ける場面があり、それらはまるで、ふたりを寄り添わせるための「見えない力」が働いているようにも思えます。

「恋」は、人にやさしさをもたらす。

恋人どうしで街を歩けば、見なれた風景もバラ色に見えることがあると思います。そんな時に、少々不快なことがあっても、恋するふたりは容易にそれを許せるのではないでしょうか。この小説の中で、奈々子の後輩女優である翔子は、アプリ開発会社の社長である宮野の私利私欲によって精神的に傷ついてしまい、奈々子がその復讐を考えていたところ、祐太郎の言葉によって方針を変えてしまう場面があります。もしかすると、恋は人それぞれが持つ良心を呼び覚ますのかもしれません。ただ残念ながら、翔子は宮野のことを真剣に恋していましたが、宮野やホストの橘によって裏切られ、傷ついてしまいました。ここに、「恋」が諸刃の剣というマイナス面もあることを認識しておく必要があると思っています。

「恋」を追いかけてはいけない。

小説のなかで、祐太郎は決して奈々子を追いかけなかった。むしろ、奈々子が連絡してくるのを待つというスタンスでした。つまり、偶然芽生えはじめた恋は、ゆっくり時間をかけて育てることが重要なのではないでしょうか。決して相手に無理強いをしない、お互いに思いやりを掛け合う関係が重要になる。それはまるで、めばえ始めた「恋の芽」に、お互いが交代で思いやりという水を掛けてゆくイメージともいえます。

「東京」には、眩しすぎる表と、闇深い裏がある。

最後に、東京という街は実に人間の表と裏を激しく、そして鮮明に浮かびあがらせる場所なのではないか・・・、と思っています。ホストクラブ業界の人々は、自分たちの職場環境を社会の最底辺であると、時折おっしゃることがあります。それは、人間の本性を目の当たりにすることが多い職場環境である、そう言い変えることもできると個人的には思っています。日本最大級の歓楽街である歌舞伎町を舞台に、深遠な闇を見てしまうからこそ、光がより鮮やかに見えてくる。そんな環境とも言えるでしょう。

「恋」は、心のオアシス。

東京という街が、光と闇を包み込むように、「恋」もお互いの良さや悪さを包み込む、そんな心のオアシスであって欲しい・・・、そう思っています。


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