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きっと、この先も捨てないもの

 私は父に似て片付け魔なうえ、今まで、なんだかんだ7回も引っ越しをしているので、昔からずっと捨てず持ち続けているものは、ほんの僅かしか無い。

 その中の一つは、なぜか、古い粉ふるい。いや、ダジャレじゃなく。

ふるいふるい

 小麦粉などをふるったり、ペースト状のものを裏ごししたりする”ふるい”は、料理好きなら出番も多いのだろうけれど、生憎私はそうじゃないから、数年に一度お目見えするかどうか。だから、正直なところ、あっても無くてもどちらでもいい気がするけれど、かといって、わざわざ捨てることもなく、気づけば三十年以上持ち続けている。

 この”ふるい”は、中学校の養護の先生にもらったもの。

 中学の卒業式が終わって後の春休み、私は、同級生と一緒に、またすぐ母校に顔をだしていた。もしかしたらテニスの校庭開放に行ったのかもしれない。

 1階の保健室に立ち寄ると、養護の先生がダンボールに囲まれてウロウロしていた。”ゆもちゃん”とみんなで呼んでいたその先生とは結構仲が良かったのだが、きけば「異動よ」という。「寂しい〜」「忙しい〜」と騒がしくしているので、片付けを一緒に手伝った。

 ゆもちゃんは、あの頃、新卒でうちの中学に来たと言っていたから、多分25〜6歳で、私達と10歳くらいしか違わなかった。若いお姉さんで、怖くも冷たくもないが、かといってすごく優しく面倒見がいいかというとそうでもない。私にとっては、そっけなくも馴れ馴れしくもない、丁度いい距離感の人だった。

 私は、部活で転んで擦りむいたとかマメが潰れたとか、授業中も数ヶ月に1時間くらいは頭が痛いなどと言って、わりと頻繁に保健室に出入りしていた。頑張れば耐えられそう、でも、今日はまあ保健室行っておこう。そういう感じに、無意識に自分の心と体を休憩させていた。そしてそんな生徒は他にも沢山いたんじゃないかと思う。

 あらかた片付けを終えたが、まだ、棚の中にいくつかのものが残されていた。まだ使えそうだけれど、ゆもちゃん的には異動先にわざわざ持っていくまでもなさそうなものたち。そもそもなんで保健室にあったのかわからない。ふるいはその中のひとつだった。

「ゆもちゃん、これは?」
「えー、どうしようか、欲しい物あったらあげるよー」
「じゃあこのザルもらう」
「ザルじゃなくてふるいだよ。そんなんでよければどうぞどうぞ」
「サンキュ」

 私とて、このふるいがすごく欲しかったかというと、全然そんなことはない。ただなんとなく、家にこの形のふるいは無く、だから、あってもまあ良いかなあと思ったにすぎない。使わなければ捨てればいいし、と。それなのに、不思議と今まで持ち続けている。

 保健室って、ふるいのような場所だったのかもしれないな、と思う。無くてもなんとかなるけれど、でも、そのままではダマになったり、ザラザラと感触が悪くなりそうな心と身体を、ゆもちゃんのいる保健室という場所ですこしゆっくりさせることで、その後少しは、さらさらと、なめらかにいられる。

 すごく必要だったわけでもなく、そして、案の定たいして使ってもいない。でも、長い長い年月の間には、あって良かったかも、と思う瞬間もあって、結局、どうにもなんてことのない、この古い”ふるい”を、私はこの先も生きている間、ずっと捨てぬままでいそうな気がする。

 たまに保健室とゆもちゃんに「サンキュ」って思いながら。




文中仮名です。

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