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私と家族

家族と言うと、私には何処か違和感を覚える。
もう、とうに還暦を過ぎた私には、どんなに思い出そうとしても
思い出したくない事ばかり。
人が話すお母さんは、お父さんはと話題に入りたくても、
とても、同じ思い出や感情は感じ無い。

父は、何時も酒をあおり包丁を持って暴れる。
最後は、パトカーが来て警察のお世話。

母は、良く働く頭の良い人だった。
しかし、何処が気に入らないのか、3人兄弟の私だけには良く、
叱りつけていた。
大人になっても、それは変わる事は無かった。
むしろ、お金を無心する様になって行った。
自分でも、何故だか判らないが、必死に母に答えようとする。

こんな話し、聞く方も重いだろうと話さず生きて来た。が、
何かのきっかけで、アダルトチルドレンの言葉を知る事となる。
最近はネットのお陰で、色んな情報が手に入る。
調べれば、調べるほど自分の頭の中が慌てる。
情報と、頭と、心が混乱。

大人になって、社会で生きるのに生きずらさを覚えるが
みんな、自分が悪いと思う。
必死に働くが、身体と心はとうに、悲鳴を上げていた。
それにも気づかず、自分を痛め続ける。
気付いた時には、自分の前から色が消えていた。
まるで、墨絵の様な景色だった。
夜なのか昼間なのか判らない。
白いご飯も、グレーの色にしか見えない、無理して口に運ぶが
口の中でジャリッと音がする錯覚。
お腹が減ると言う事は感じなくなっていた。
体重はどんどん減る。
元々太っている方では無かったが、160c無い身長に40k無い体重は
立っていられないほどとなる。
病院に行くと、鬱と診断。
安定剤と眠剤の処方がされる。
そんな状態でも、母や兄弟を頼る事はしなかった。

何度、親を憎んだ事か何度死にたいと思った事か
中々死なせてくれない。
生きる事の難しさ。
どう、例えれば判って貰えるか。
そんな事も無理な事。

何故、生まれたのか?
何をしに生まれたのか?
何の為に生きるのか?
何時しか、そんな事が私のテーマとなる。

若い時の様に力で生きる事は困難になって来た。
私に残された選択肢は、受け入れる事。
全てを受け入れる事。
生まれて来たのも、自分の魂が選んだ物。
残された時間を、どう心と折り合い付けて生きるか
そんな事を思う。

最近になって、SNSや、口伝えに色んな困難を抱えて
生きている人と縁する様になった。
今になって、言える。
頑張らなくていいよ。
十分頑張ったでしょう?
誰かの為に生きなくていいよ。
自分の為に生きて。
自然と出て来る自分の言葉に、自分でもびっくりする。

最近になって思う。
私には、健全な家族は得られなかったが、
人と違う経験をして来た。
私の時代では、判って貰う人は居なかったし、
正しい情報も無かった時代である。
口に出して言う事はご法度な時代。

今は、そんな中生きて来た自分を褒めてあげたい。
後どれだけ自分の人生の時間があるのか判らないが
最後に楽しかったと言って終わりたい。

それを教えてくれたのは、私の家族である。
何も、無駄は無かった。
素晴らしい人生だった。

最後まで、お付き合い下さりありがとうございます。
もし、今苦しいと思っておられる方がいらっしゃるのであれば、
どうぞ、ご自分を許してあげて下さい。
ご自分を、褒めてあげて下さい。


興味のある方は、私の記事の、遠い記憶に綴っております。
ご興味のある方はどうぞ。


#家族の物語

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