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日記 2024/05/29


春休みの最中、私の中の渦の向きが反対方向へと変わった、と思っている。客観的に見れば何ら変わりない、ただただ自分の中で起こっただけの話。

私の中にある数少ない語彙の中から選んで書いたポエムみたいな散文で、今現在の私の状態として一番しっくり来たのが「残りかすしかないクッキー缶」だった。
日常生活行為がままならなくなってきた日、やっとの思いで教授の研究室に向かって、不意に教授から言われた言葉に脳がびりびりと灼けた。
「自分のための選択をして生きてこなかったんだよ、あんた」
次の日の将来に関する大事な大事な大学の集まりで、階段教室の端に座って、涙が出た。自分がここまで来た意味が、全く分からなくなった。

思っていた以上に何かが決壊した。

悪いことじゃない。今この瞬間気づけて良かったとさえ思う。
向き合いたくなくて部屋は散らかるし食事も摂らないしで悪化はしたけど。

みんなが今死なないでいる理由って、何だろう。
私はずっと、死んだら迷惑がかかる人がいるから、引きずる人がいるから
死んでいないだけって考えてた。それ以外なら別にどうだってよかったし、スイッチオフで、終わり。コンセントからコードを抜いて、終わり。

よーくよーく考えて、ああこれだよなあ、と思った。自分のために生きてない、って。結局は死んでないだけ。

誰かの役に立っていないと、助けられる人間じゃないと、自分には生きてる価値は全くないって考えが、脳みその片隅にずっとある。
ためになることをしないとって。

昔言われた言葉がしつこい焦げみたいにこびりついて。
「あなたには苦労を掛けるけどごめんね」
「大人になったらきっとわかるよ」
「将来笑い話になるよ」
「今って通過点だから」

大人の楽で残酷な言葉だと思う。
自分に言い聞かせるための言葉ならまだしも。
少なくとも私はこの言葉をかけられて心が軽くなった瞬間は一度もなかった。
じゃあ今この瞬間の私の苦しさは、憎さは、痛みはどこに置けばいいの。
知る由もない先のことに託せるほどできた人間じゃないよ。
今更これからはたくさん思い出作っていこうなんて、大人の都合なんだよ。

こんな風にどろどろの恨みつらみがどんどん、どんどん浮かんでは部屋に引きこもって。
こんなことしたところで私のこれからが明るく変わるわけじゃないよって、自分に伝える毎日。急に方向転換して明日から私は自分のための選択をして自由に生きていきますなんてロボットみたいな切り替えはできないので、ちょっとずつ、ちょっとずつ、浮かぶ自責や希死念慮を言い直す作業の繰り返し。

あの日、無償の安心が欲しかった。無償の愛とやらが欲しかった。
それは根拠なんて無い”だいじょうぶ”という名前だった。
今それをもらったとして、たぶん家族からも他人からも純度100%で受け取ることはできなくて。
空っぽのクッキー缶を満たすことも難しい。

だから、わたしはわたしで満たさないと。
だから、ひたすらためにならないことをしよう。
今自分が学んでいる分野からわざと大きく逸れる選択をして。
満たす方法は、誰かからすれば「無駄でどうでもいい」をすることなんじゃないかって考えて。

後ろ向きだからこそ面白い、前向きじゃないから楽しい。
バスの一番後ろに座ってリアウィンドウを覗くみたいに。
流れた景色は額縁に入っている。
ときどき車酔いで倒れたりはする、それでいいって、思いたい。

そんな、5月の終わり。





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