沙季

23歳学生 古道具/本/絵画/映画/音楽/被写体 Instagramでは被写体活動の…

沙季

23歳学生 古道具/本/絵画/映画/音楽/被写体 Instagramでは被写体活動の記録をしています。

最近の記事

溶けていない氷菓を食べた真夏

内臓から腐っていきそうなほどの暑さが始まっている。 駅前の薬局で買った日用品を千切れかかった袋に入れて帰宅する午後5時。 何をすればいいのか目的が不鮮明になってきて、頭の回転の悪さをこの暑さのせいにしたい。 夏はどうしてか、経験したこともない懐かしさに焦がれることがある。 田んぼ道の中自転車を走らせたことも無ければ、バス停で溶けかけたアイスを食べながら時間を待ったことも無い。それでも懐かしいと、寂しさを感じることがある。そのまま目を閉じて、逃げていたい現実があるみたい。 戻

    • シングルベッドに浮かぶ蜃気楼:6月日記

      決心しては躓いて、立ち直るのにもかすり傷はケロイドみたいに痛んで、 生きてればどうにかなるなんて信じられなくなる、 ベッドから天井の常夜灯を見つめている夜。 どうにかなるまえに修復不可能な心になったならどうすればいいのか、とか。 ぶよぶよとした水ぶくれが私の真ん中にはたくさんあって、シャワーを浴びるたびに割れてしまったそれはしみてヒリヒリする。 消化しきれていない思い出はまだうまく吐き出すことができなくて、真っ黒な風船が仰向けに寝転んだ私の口から出ていくみたいで。 苦い経

      • 日記 2024/05/29

        春休みの最中、私の中の渦の向きが反対方向へと変わった、と思っている。客観的に見れば何ら変わりない、ただただ自分の中で起こっただけの話。 私の中にある数少ない語彙の中から選んで書いたポエムみたいな散文で、今現在の私の状態として一番しっくり来たのが「残りかすしかないクッキー缶」だった。 日常生活行為がままならなくなってきた日、やっとの思いで教授の研究室に向かって、不意に教授から言われた言葉に脳がびりびりと灼けた。 「自分のための選択をして生きてこなかったんだよ、あんた」 次の日

        • 盲目の白昼夢は

          あまりに長く、長く 自分を騙し続けて、盾として、甲冑として あの日のあなたは私に覆いかぶさるように いつ降りかかるかもわからない毒矢から ずっとずっと怯えながら 守り続けていてくれていたのね、いまも、たぶん 宙ぶらりんの、ほとんどが空っぽの、死んでいないだけの、 20数年生きてきた割には枯渇しすぎている何か 蓋を開けてあったのはクッキーの残りかすだけ 青い血管が浮き出しているわたしの手首に巻き付けた風船ごと、 この花嵐に奪われるほどに 落下、落下、落下 ずっと内側を見てい

        溶けていない氷菓を食べた真夏

          終夜

          いつも思考回路はいろんな道を辿っていて 汚らわしい感情も 言葉の型に流し込んでしまう前のぐちゃぐちゃした黒い塊も 丸ごとぜんぶを表してしまえたら 丸ごとぜんぶあなたにぶつけられたら 表現という名の暴力で殴ることができたら どれだけ楽だろうと考えることがある すべてを余すことなく目の前を通り過ぎていく人の隙間に埋めていくことができたら たぶん私は濾過が済んだ水たまりの一部になって 誰かと誰かがどこかで愛し合っている途中で 上に向かって蒸発していくんだろう 誰かが死んだ夜は 視

          彼は誰時

          答えが欲しくて、本屋を歩き回る 何かに依存していないと不安で、不安で この心の中にある気持ち悪さはきっと、 今私が手に取った自己啓発本にも、哲学書にも治せない 誰かに教えてほしかった、自分で考えることはせずに 自分で見つけなければ納得もできないくせに 私の部屋の中にあるかな もしかしたら枕の下にあるかな 靴下と一緒に安心を履けたならどれだけ春が幸せなんだろう 傘をさして雨と一緒に不安の雨宿りができるなら 私は葉に乗った朝露のようだと、人生を優しく見られるだろうね 溶けかけ

          彼は誰時

          燻らせる春

          心や頭が何の整理もできず路頭に迷っているとき 皮肉にも私は創作活動に没頭できる なんて苦しいやつなんだろう 私たちはいつだって元を辿れば 自分のことで頭がいっぱいだから 100%の自分を理解する他人なんて一人もいない 誰も私のことを知らない  私は誰かのすべてを理解できない それでもこれこそが自由なんだと笑う自分にいつか出会いたい そんな私を愛したい この腕で愛していたい 終わりを待たずに、終わりへ急ぐように ゆっくり生きるなんて  あの日から無理だって決まっていたんでし

          燻らせる春

          すなをとむらうやうに。

          海を見に行こうと思った でも、海は怖いと思った 海底の真っ白な砂は掬い上げれば 私の指の隙間を通り抜ける その中に宝石はあった 私はそっと、その透明な光を集める宝石を 静かに砂の下へと沈ませた ある日私は宝石の場所を見失った 鯨の声は遠くて、おぼろげで、 優しくて、そして怖いと思った その歌声に抱きしめられてしまったなら 私は放り出されてしまったこの世界で 生きることができないような そんな気がした 空に散りばめられた星を なぞる指先で繋げてみたいと思った でも、空は怖い

          すなをとむらうやうに。

          寧日にペトリコールと、思うがままに。

          昔、病院の先生から自分がHSPの傾向があると言われた時から今まで、たぶんそうなんだろうと思って生きている。病気や障害じゃなくてあくまでもその人の「性質」だから、医師にちゃんと診断してもらうってことは難しい。だからどうしても判断のほとんどは主観に頼るしかないのだけど。信頼している先生にそう言われたから、勝手に自分の中でだけ、HSPは私を構成する特徴の一つにしてある。 だいぶこの言葉も世間に浸透して、「ファッションHSP」やら、「HSPマウント」やらがあるらしい。こういうところ

          寧日にペトリコールと、思うがままに。

          かつて52ヘルツだったわたしへ。

          どうやら私の好きな小説が映画化するらしい。ので、今一度読み返して私の主観たっぷりの読書感想文としたいと思う。 物語のネタバレにはあまりならないようにしますね。 「52ヘルツのクジラたち」 この本を初めて手に取ったとき、作品名の意味を知らなかった。確か購入する前に気になってグーグルで検索したと思う。 クジラはまるで歌うみたいにコミュニケーションをとる。海の中で揺蕩うように波に乗せて。けれど52ヘルツで鳴くクジラは、どの仲間にも聞こえない声で鳴く。どれだけ呼びかけても、その

          かつて52ヘルツだったわたしへ。

          喉元に在る想い、回想録と。

          最近読んだ本に、「料理と言葉は似ている」という記述があった。 料理は作ったものを誰かが食べることにより初めて「料理」になる。誰も食べることが無いならそれはただの廃棄物となり、料理とは言えない。 言葉も同じだという。声に乗せなければ、文字に起こさなければ、それは何にもなり得ないのだと。ただ喉の奥にあるのは「自分が考えていること・想い」に過ぎず、言葉じゃない。ちょっと腑に落ちた。 じゃあどうして人は言葉を残すのか。 人によって理由は様々で、一つにまとめることは絶対にできないのだ

          喉元に在る想い、回想録と。

          多感な僕らは複雑さをほどけずに。

          「あなたに私の何が分かるの?」 ドラマとかでよく耳にする言葉。 聞きすぎてだいぶ飽和してしまっている言葉。 一日に日本のどこかで喧嘩しているうちの5人くらいは言っていそうな言葉。 この言葉の返しとして妥当なのは「分からないよ」かな。 恋愛ドラマとかだともっと甘い言葉でも囁くのかしら。 すごくどうでもいいけど。 同じ価値観の人間なんて存在しない。それは至極当然のこと。 だって同じ環境で育った兄弟でさえ考えていることは全然違う。 親と同じ価値観にもなり得ない。私の隅々までなん

          多感な僕らは複雑さをほどけずに。

          晴れていたなんて知らなかった。

          30歳までには死にたいと思っていた。 そんな16歳の暑い暑い夏の日に、今まで硬く積み上げていると信じていた私の脆すぎる塔は一気に塵と化した。汗なんて一滴も出なかった。 思い返して考えることは、たぶん私の中の雪崩が起きていなかったなら、今頃別の人間になっていたんだと思うってこと。 けれどこの人生に誇りを持っていいのかはまだ分かってない。崩れた塔を少しずつ立て直して、綻びができたなら下へ降りてまた修復して。ああ今日も疲れたなあって、死んだように眠っての繰り返し。 私は私のた

          晴れていたなんて知らなかった。

          アンバランスな夏の果てだ。

          私の長期休みは必ず何か事件が起こる。 いや、事件と呼ぶに値しないことかもしれないけれど、 まあ、私にとっての事件。 実際、春休み起きた事件は驚くほど「酷く落ち込んだこと」。時間がありすぎるって怖いことだと思った。自分と向き合いすぎて、どうにもならないことで頭がいっぱいだった。 だから夏休みはせめてたくさん予定を入れよう。予定をたくさん入れれば落ち込むこともないだろう。そう思って実家に帰省する前から予定を詰め込んで、詰め込んで詰め込んで…… もう予想はできますよね。そうです、

          アンバランスな夏の果てだ。

          『アルジャーノンに花束を』日記。

          進むのが怖くて、だんだんと読むペースが落ちた。 本を読むことは好きだけれど、結末に向かうにつれて、どんな終わり方をしていくのかをなんとなく察してしまう。これまでにそんな私の脳内での葛藤によって、意図的に「読み終えることを辞めた本」がいくつもある。 でもこの本だけは、読み終えなければならない。とよくわからない使命感と責任感に追われている。 本を開いてしまった、チャーリィの人生を始めてしまったことへの少しの後悔もあるのかもしれない。 何を伝えたい本なのか、というものは読者によ

          『アルジャーノンに花束を』日記。

          春めく。人々は変化しようとする。

          春が苦手。そう言うと、結構疑問に思われる私。 でも桜は大好き。花が大好き。 咲き方で値打ちなんてしないでほしいと願うほど、花は好きだ。 花ほど純粋なものはないでしょう? 土の種類で色が変わって、日に向かって伸びて、適正量の水があれば咲き誇る。 日陰の花はおとなしく、水がなければ最小限の生き方をして枯れていく。 私はとりあえずまだ花粉症でもないし。 じゃあなんで春が苦手なの? それは、気圧変動が多いから? それは、置いてけぼりな感じがするから? それは、劣等感を感じてしま

          春めく。人々は変化しようとする。