沙季

23歳学生 古道具/本/絵画/映画/音楽/被写体 Instagramでは被写体活動の…

沙季

23歳学生 古道具/本/絵画/映画/音楽/被写体 Instagramでは被写体活動の記録をしています。

最近の記事

終夜

いつも思考回路はいろんな道を辿っていて 汚らわしい感情も 言葉の型に流し込んでしまう前のぐちゃぐちゃした黒い塊も 丸ごとぜんぶを表してしまえたら 丸ごとぜんぶあなたにぶつけられたら 表現という名の暴力で殴ることができたら どれだけ楽だろうと考えることがある すべてを余すことなく目の前を通り過ぎていく人の隙間に埋めていくことができたら たぶん私は濾過が済んだ水たまりの一部になって 誰かと誰かがどこかで愛し合っている途中で 上に向かって蒸発していくんだろう 誰かが死んだ夜は 視

    • 彼は誰時

      答えが欲しくて、本屋を歩き回る 何かに依存していないと不安で、不安で この心の中にある気持ち悪さはきっと、 今私が手に取った自己啓発本にも、哲学書にも治せない 誰かに教えてほしかった、自分で考えることはせずに 自分で見つけなければ納得もできないくせに 私の部屋の中にあるかな もしかしたら枕の下にあるかな 靴下と一緒に安心を履けたならどれだけ春が幸せなんだろう 傘をさして雨と一緒に不安の雨宿りができるなら 私は葉に乗った朝露のようだと、人生を優しく見られるだろうね 溶けかけ

      • 燻らせる春

        心や頭が何の整理もできず路頭に迷っているとき 皮肉にも私は創作活動に没頭できる なんて苦しいやつなんだろう 私たちはいつだって元を辿れば 自分のことで頭がいっぱいだから 100%の自分を理解する他人なんて一人もいない 誰も私のことを知らない  私は誰かのすべてを理解できない それでもこれこそが自由なんだと笑う自分にいつか出会いたい そんな私を愛したい この腕で愛していたい 終わりを待たずに、終わりへ急ぐように ゆっくり生きるなんて  あの日から無理だって決まっていたんでし

        • すなをとむらうやうに。

          海を見に行こうと思った でも、海は怖いと思った 海底の真っ白な砂は掬い上げれば 私の指の隙間を通り抜ける その中に宝石はあった 私はそっと、その透明な光を集める宝石を 静かに砂の下へと沈ませた ある日私は宝石の場所を見失った 鯨の声は遠くて、おぼろげで、 優しくて、そして怖いと思った その歌声に抱きしめられてしまったなら 私は放り出されてしまったこの世界で 生きることができないような そんな気がした 空に散りばめられた星を なぞる指先で繋げてみたいと思った でも、空は怖い

          寧日にペトリコールと、思うがままに。

          昔、病院の先生から自分がHSPの傾向があると言われた時から今まで、たぶんそうなんだろうと思って生きている。病気や障害じゃなくてあくまでもその人の「性質」だから、医師にちゃんと診断してもらうってことは難しい。だからどうしても判断のほとんどは主観に頼るしかないのだけど。信頼している先生にそう言われたから、勝手に自分の中でだけ、HSPは私を構成する特徴の一つにしてある。 だいぶこの言葉も世間に浸透して、「ファッションHSP」やら、「HSPマウント」やらがあるらしい。こういうところ

          寧日にペトリコールと、思うがままに。

          かつて52ヘルツだったわたしへ。

          どうやら私の好きな小説が映画化するらしい。ので、今一度読み返して私の主観たっぷりの読書感想文としたいと思う。 物語のネタバレにはあまりならないようにしますね。 「52ヘルツのクジラたち」 この本を初めて手に取ったとき、作品名の意味を知らなかった。確か購入する前に気になってグーグルで検索したと思う。 クジラはまるで歌うみたいにコミュニケーションをとる。海の中で揺蕩うように波に乗せて。けれど52ヘルツで鳴くクジラは、どの仲間にも聞こえない声で鳴く。どれだけ呼びかけても、その

          かつて52ヘルツだったわたしへ。

          喉元に在る想い、回想録と。

          最近読んだ本に、「料理と言葉は似ている」という記述があった。 料理は作ったものを誰かが食べることにより初めて「料理」になる。誰も食べることが無いならそれはただの廃棄物となり、料理とは言えない。 言葉も同じだという。声に乗せなければ、文字に起こさなければ、それは何にもなり得ないのだと。ただ喉の奥にあるのは「自分が考えていること・想い」に過ぎず、言葉じゃない。ちょっと腑に落ちた。 じゃあどうして人は言葉を残すのか。 人によって理由は様々で、一つにまとめることは絶対にできないのだ

          喉元に在る想い、回想録と。

          多感な僕らは複雑さをほどけずに。

          「あなたに私の何が分かるの?」 ドラマとかでよく耳にする言葉。 聞きすぎてだいぶ飽和してしまっている言葉。 一日に日本のどこかで喧嘩しているうちの5人くらいは言っていそうな言葉。 この言葉の返しとして妥当なのは「分からないよ」かな。 恋愛ドラマとかだともっと甘い言葉でも囁くのかしら。 すごくどうでもいいけど。 同じ価値観の人間なんて存在しない。それは至極当然のこと。 だって同じ環境で育った兄弟でさえ考えていることは全然違う。 親と同じ価値観にもなり得ない。私の隅々までなん

          多感な僕らは複雑さをほどけずに。

          晴れていたなんて知らなかった。

          30歳までには死にたいと思っていた。 そんな16歳の暑い暑い夏の日に、今まで硬く積み上げていると信じていた私の脆すぎる塔は一気に塵と化した。汗なんて一滴も出なかった。 思い返して考えることは、たぶん私の中の雪崩が起きていなかったなら、今頃別の人間になっていたんだと思うってこと。 けれどこの人生に誇りを持っていいのかはまだ分かってない。崩れた塔を少しずつ立て直して、綻びができたなら下へ降りてまた修復して。ああ今日も疲れたなあって、死んだように眠っての繰り返し。 私は私のた

          晴れていたなんて知らなかった。

          アンバランスな夏の果てだ。

          私の長期休みは必ず何か事件が起こる。 いや、事件と呼ぶに値しないことかもしれないけれど、 まあ、私にとっての事件。 実際、春休み起きた事件は驚くほど「酷く落ち込んだこと」。時間がありすぎるって怖いことだと思った。自分と向き合いすぎて、どうにもならないことで頭がいっぱいだった。 だから夏休みはせめてたくさん予定を入れよう。予定をたくさん入れれば落ち込むこともないだろう。そう思って実家に帰省する前から予定を詰め込んで、詰め込んで詰め込んで…… もう予想はできますよね。そうです、

          アンバランスな夏の果てだ。

          『アルジャーノンに花束を』日記。

          進むのが怖くて、だんだんと読むペースが落ちた。 本を読むことは好きだけれど、結末に向かうにつれて、どんな終わり方をしていくのかをなんとなく察してしまう。これまでにそんな私の脳内での葛藤によって、意図的に「読み終えることを辞めた本」がいくつもある。 でもこの本だけは、読み終えなければならない。とよくわからない使命感と責任感に追われている。 本を開いてしまった、チャーリィの人生を始めてしまったことへの少しの後悔もあるのかもしれない。 何を伝えたい本なのか、というものは読者によ

          『アルジャーノンに花束を』日記。

          春めく。人々は変化しようとする。

          春が苦手。そう言うと、結構疑問に思われる私。 でも桜は大好き。花が大好き。 咲き方で値打ちなんてしないでほしいと願うほど、花は好きだ。 花ほど純粋なものはないでしょう? 土の種類で色が変わって、日に向かって伸びて、適正量の水があれば咲き誇る。 日陰の花はおとなしく、水がなければ最小限の生き方をして枯れていく。 私はとりあえずまだ花粉症でもないし。 じゃあなんで春が苦手なの? それは、気圧変動が多いから? それは、置いてけぼりな感じがするから? それは、劣等感を感じてしま

          春めく。人々は変化しようとする。

          これっぽっちな私の死生観

          突然ここに書き残すこともどうかと思いますが、 精神科・心療内科・カウンセリングに通うことは、恥ずかしいこと、惨めなことじゃありません。 ちなみに私も16歳の頃から今でもずっと通っています。心って、自分じゃどうにもできないことがあります。心の奥ではそう思っていなくても、自ら死を選ぶこともあります。少しヘビーな内容ですね。 海外ではこうなのに、日本ではこうだということはたくさんありますが、良くも悪くも自己責任の念が強いことが大きな特徴の一つだと思うのです。お国柄、というやつです

          これっぽっちな私の死生観

          わたしはわたしで。

          近くにあるものにピントを合わせることは、難しい。 私の真ん中は、いつもどこかピンボケしている。 遠くに見える風景は、綺麗に映る。 目の前にいる大切な人も、綺麗に撮れた。 けれど、わたしはわたしを映せない。 いつもわからないままなのです。 写真は、どこか非現実的だ。 けれど、そこあったものだった。 確かにあったものだった。 ファインダーの先に見える景色を映すことで、 わたしはわたしを映しているのだと、 遺しているのだと、そう思っていたい。 わたしはわたし

          わたしはわたしで。

          考えて、考える。

           皆様、こんばんは。いかがお過ごしでしょうか。ようやく暖かくなってきたような……と言おうと思ったら、また寒くなるようですね。春に近づけば近づくほど、周りは桜が恋しく、咲くのを急かしたくなるようです。私に関しては、春は好きであり苦手であるので、その矛盾と戦う日々がまた来るなあと感じ始めています。  生き急ぐことも時には必要なのかもしれませんが、ふと気づいたときに心の空洞を全身で感じてしまう。自分に一番近い自分自身と向き合うことは、とても苦しい。けれど、自分を内側から抱きしめて

          考えて、考える。

          芸術についてのひとりごと。no.1

           皆様、こんにちは。寒い日がまだまだ続いていますが、いかがお過ごしでしょうか。そういえば、インフルエンザが流行しているそうですよ。私は小学校から高校まで、インフルエンザにかかることが恒例行事でしたので、気を付けなければ……。  さて、今回は、前回の予告通りに、私の芸術に対してのひとりごとを綴ってみようかと思います。長くなりそうなので、いくつかに分けて投稿しますね。私個人の価値観と考えなので、引き続き軽い気持ちで読んでいただければ幸いです。芸術の価値は、人によって全く違ってく

          芸術についてのひとりごと。no.1