見出し画像

『アルジャーノンに花束を』日記。

進むのが怖くて、だんだんと読むペースが落ちた。

本を読むことは好きだけれど、結末に向かうにつれて、どんな終わり方をしていくのかをなんとなく察してしまう。これまでにそんな私の脳内での葛藤によって、意図的に「読み終えることを辞めた本」がいくつもある。

でもこの本だけは、読み終えなければならない。とよくわからない使命感と責任感に追われている。
本を開いてしまった、チャーリィの人生を始めてしまったことへの少しの後悔もあるのかもしれない。
何を伝えたい本なのか、というものは読者によって変わるもの。「自分がこの本の何を受け取ったのか」は多種多様だ。
私がこの本の3分の2しか読み終えていない読者であっても、受け取ったことはある。


それはカフカの変身のような、どうしようもない静かな絶望感があった。
ゆっくりと、ゆっくりと終わっていく。まるで人間の人生そのものでもあったようだった。

本当に幸せだったのか。私はこの本をもう一度開くことはできるだろうか。みんなのために、自分のために、天才へと変貌していくチャーリィは、すべてを知ったときに二度も自分の人生に絶望してはいないかな。
そんなこともゆっくりと忘れていくことに、無情な仕打ちさえ感じてしまう。

小説から人生を変える大きな学びを得ることは、正直あまりない。どうやっても自分自身の日常にいつのまにか溶け込んでいってしまうもの。

ただ、公平に不公平な人生を、再確認している。

本人が幸せだったならそれでいい、なんて無責任な言葉だと思ってしまった。

この本を、どうか最後まで読み終えることができますように。
なんだかずっと手元に置いておきたいような本だ。

今は開けずにいるけれど。

じんわりとした静かな悲しみは、たぶん誰かを優しくさせるのだと思う。



そして私は、また新しい本を手に取るんだろうな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?