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晴れていたなんて知らなかった。

30歳までには死にたいと思っていた。

そんな16歳の暑い暑い夏の日に、今まで硬く積み上げていると信じていた私の脆すぎる塔は一気に塵と化した。汗なんて一滴も出なかった。



思い返して考えることは、たぶん私の中の雪崩が起きていなかったなら、今頃別の人間になっていたんだと思うってこと。
けれどこの人生に誇りを持っていいのかはまだ分かってない。崩れた塔を少しずつ立て直して、綻びができたなら下へ降りてまた修復して。ああ今日も疲れたなあって、死んだように眠っての繰り返し。



私は私のために生きていない。自分のためには生きられない。
悲しいことかもしれない、かなあ。
輪廻転生が本当にあるのだとしたら、前世でだいぶやばめな犯罪者だったのでは……とさえ考えたりする。まるで何かの償いをしているみたいだから。そんな会話を母親と一緒に泣きながらした覚えもある。
どうしてなんだろうねって。


今でさえ自分だけが波乱まみれの人生送っているわけじゃないのも分かっているし、大なり小なり私の知らないところではたくさんの出来事が起こってることも知っている。私じゃなくてよかったって、ひどく無責任なことを考えさえもする。自分が優しい奴じゃないのは百も承知だし。


けれど先ほど述べた通り10代の頃は今以上にとてもひねくれマンだったから、周りは全員人生を謳歌してうまくいっているように見えたし、同時にほぼ全員が憎かった気がする、あんまり覚えてないけど。
妬み嫉みとは毎晩お友達だったのだけは確か。
まるで漫画のモブキャラみたいにね。


これから先、私が私を生きていると実感できる日は来るんだろうか。
今の段階ではたぶん無理だと思う。自分のことばかり考えているくせに自分のためには生きてないから。
それでもまたここへ行きたいとか、あれをしたいとか、明日が楽しみだって思えるのは周りのおかげでしかないから、そう思わせてくれる人たちのためにも今生きていたいと思う。私を大切に思ってくれているって、伝わってくるぐらいの幸せを受け取っている。


ずっと内側へ向かっていた矢印が、ちょっとずつ外へ向かっている感覚。
16歳の夏がどんな空模様だったかなんて知りもしなかったけれど、今日の雲は可愛いな、綺麗だなって気づけるくらいには、時間は思ったよりも経っている。




もういつの間にか空模様も秋めいている。
昔の自分にも向こうを指差して、そう教えてあげたいんだけれど。







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夏の思い出

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