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かつて52ヘルツだったわたしへ。

どうやら私の好きな小説が映画化するらしい。ので、今一度読み返して私の主観たっぷりの読書感想文としたいと思う。
物語のネタバレにはあまりならないようにしますね。

「52ヘルツのクジラたち」

この本を初めて手に取ったとき、作品名の意味を知らなかった。確か購入する前に気になってグーグルで検索したと思う。

クジラはまるで歌うみたいにコミュニケーションをとる。海の中で揺蕩うように波に乗せて。けれど52ヘルツで鳴くクジラは、どの仲間にも聞こえない声で鳴く。どれだけ呼びかけても、その声は届かない。誰にも聞こえない周波数で鳴き続ける、世界で一番孤独なクジラのこと。存在はわかっているけれど、実際の姿は誰にも見つかっていない。今もどこかで、一人歌い続けているクジラ。
それが作品名になっているのだと、意味を知った瞬間。読まずにはいられなかったのを覚えている。

作中にはそれぞれの孤独を持った52ヘルツのクジラたちが、もがきながら泳いでいた。

なかには、私がかつて抱えていたような孤独感を持った人物がいた。だから、読んでいる途中呼吸が浅くなった。心臓がひゅっと縮んで、身体が硬直した。全身に鳥肌が立った。口の中が乾いて、目の奥が痺れた。それくらい現実味を帯びている表現だった。あまりに夢中になって読み進めたおかげで、たったの数時間で読み終えてしまって。自分の集中力に酷く驚いていたと思う。勉強もこんなふうに集中が続けばいいのに…。

小説の中には、「第一の人生」「第二の人生」「その中の登場人物」という言葉が出てくる。自分の人生の分岐点とそれまでの主要人物みたいなことだ。
小説の例えに沿うなら、振り返ると私の第一の人生は52ヘルツのクジラだったんじゃないかな。そう思いながら読んでいた。

第一の人生が終わったなら、そこに出てきた登場人物はもう第二の人生には登場しない。だから今の人生を生きる私に新しい傷をつけることは無い。
でも、登場人物だった事実は絶対に消えない。自分がかつて52ヘルツの声を上げていた事実も消えない。
だから時々「忘れないで」って私に呼び掛けてきているような感覚になる瞬間がある。本当に、ふとした瞬間に。
つい、辛くてその声に蓋をしたくなる。否定してしまう。でも、「その声を聴いて、許して、守って、抱きしめてあげて」って、私の第一の人生を終わらせてくれた人たちは言う。だからそうする。これからも、そうする。

主人公がしたように自分が誰かの人生に寄り添い続けることができるなんて思ってもいない。それでも、今現在52ヘルツの声を上げ続けるだれかを見つけられたらと思う。自分がそうであったように、その声を聴いてくれる誰かがどこかにいるって信じたい。

今この記事を読んでいる誰かに。
何かを思い出してふと涙が出る瞬間があるのなら、それは当時のあなたが流せなかったぶんの涙を流すための大事な悲しさ。
この言葉は私のお守りの一つなんです。

皆さんに言葉のお守りはありますか?
それは52ヘルツで鳴き続ける誰かの声を聴く魔法のアイテムになるかもしれないです。

どうか今日の夜が、誰かの夜を穏やかにする日でありますように。



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