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喉元に在る想い、回想録と。

最近読んだ本に、「料理と言葉は似ている」という記述があった。
料理は作ったものを誰かが食べることにより初めて「料理」になる。誰も食べることが無いならそれはただの廃棄物となり、料理とは言えない。
言葉も同じだという。声に乗せなければ、文字に起こさなければ、それは何にもなり得ないのだと。ただ喉の奥にあるのは「自分が考えていること・想い」に過ぎず、言葉じゃない。ちょっと腑に落ちた。

じゃあどうして人は言葉を残すのか。
人によって理由は様々で、一つにまとめることは絶対にできないのだけれど、自分の考えていることが自分で分かるからだと勝手に思っている。少なくとも私はそう。想いって、すごくふわふわしていて形がないから、形を与えることでようやく自分にも誰かにも伝わる。それが言葉だって人は言う。

自分の願いも言葉の中には隠れていたりするのかな。
目に、耳に残した言葉にも背景があることを知ることができる。それってなんだかめんどくさいかも。でもそれが美しさでもあるんだと信じている。




羊文学のマヨイガを初めて聴いた夜を今ふと思い出した。
一人暮らしのアパートでお皿洗いをしながら泣いていた日。
疲れていたわけでも、心が辛い日だったわけでもなかった。なんなら割と元気な日だったと思う。
祈りとやさしさで溢れた音と詞で、その瞬間ものすごく身に覚えがある懐かしさを強烈に感じたんだろうなあ。

noteで何度もエピソードが出てくるように、10代後半はターニングポイントばかり。書いていて自分でも驚く。
荒んでいて親不孝で。それはもう、ものすごく典型的な悪い子ども。そこにしか自分の居場所も価値も見いだせないって思い込んでいた。結局何ひとつ満たされなかったのに。今だったら何言ってるの違うよ~ってへらへらしながら言える。でも当時の自分はそんな容易なことを正常に判断する心の小さな隙間さえ皆無だったんだ、きっと。


「自分たちにとって誇りの娘。死んでも娘であり、死んでも親なんだよ。どれだけ夜中まで帰ってこなくたって探しに行く、ずっと待ってる、親だから。好きなことをして、幸せになってほしい、親だから。エゴでもなんでも、無条件に生きていてほしい、親だから。」

自暴自棄な生活を送っていたある日、洗面所でへたり込んでいたら父が入ってきて、一緒にその場で体育坐りをした。その時に言われた言葉。父の声は少し、震えていたと思う。
今まで感じたことがない感情に襲われて、床に水たまりができるくらいに泣いた日だった。

マヨイガを聴くたびに感情が溢れ出してしまうのは、そんな父の言葉がずっと残ってるから。声に言葉を乗せることは、こんなにも私を救っている。私が今こうして書き残しているのも、繰り返し思い出して忘れないようにするため。


今は結婚願望も子どもを授かりたいとも全く思えないけれど、一つの未来の可能性として家庭を築くことがもしあるとするならば、私は父と同じ言葉を子どもに紡ぎたいとさえ思う。


この祈りのような音の連なりを、私はまた時々口ずさみながら歩いていきたいな。


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