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努力した事ないのかもしれない

「頑張れることがお姉ちゃんはうらやましいんだよ」

幼い時に母親に言われた言葉。姉が私に対して抱いている感情。頑張ることも才能なんだ。

それ以降私は、とにかく頑張る私でいた気がする。受験勉強は絵に書くように、勉強しながら食べ物を口に詰める作業をしていたし、部活動はいわゆる『生徒指導が顧問の部活』に毎回入っていた。

自分でも周りの学生と比べて『努力している』自負があった。


のに、その努力が分からなくなった。


『人生の中で一番努力したことはなんですか』


この言葉を見た時に『努力』ってなんだ、と思った。努力してきたことは沢山あるはずなのに、その努力が分からなくなった。

努力に対して二通りの考え方が出てきた
・好きなことをしていたら努力も努力と思わない
   つまり受動的な目的が人を努力させる
・目的があるからこそ努力ができる

私は最初の考えよりだった。
努力とは自分ではなく他者から与えられたゴールのためだからこそ、どこか辛いものである。自分で設定したゴールに向かうものは『努力』していることにすら気付かない程、夢中なのだと。

果たしてそうなのか?自問自答した。


明確な目標を掲げているオリンピック選手は、努力していないのか?ディズニーを超えたい西野亮廣は努力していないのか?と。


いや、彼らは圧倒的な努力をしている。目標を達成するべく量と質、ともに高い努力をしている。


たとえ自分で設定したゴールだとしても、ゴールまでの道のりに現れるゴツゴツした大きな岩や、果てしなく高い壁は辛いものだと。


自分はこれまで『努力することに努力してきた』のかもしれない。だから努力が見えなくなっていたのかもしれない。


そうゆうことか、ちょっとわかった気がする。


こんなことに悩んでいないで、努力していますと誇れるゴールを見つけたい。苦しい努力を前にしても揺るがない自分のゴールが欲しい。

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