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三浦豪太の探検学校

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冒険心や探究心溢れる三浦豪太が世の中について語った日本経済新聞の連載記事「三浦豪太の探検学校」(2019年3月に最終章)の、リバイバル版。わずか11歳でキリマンジャロを登頂。フリ…
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2023年6月の記事一覧

自由求む飽くなき精神

 友人の元井益郎さんが5月にエベレスト登山に挑むというので先日、壮行会を開いた。  以前も紹介したように、元井さんは実年齢から18を引いた数字を「本当の自分の年齢」として自分の脳に言い聞かせているという独特のアンチエイジング法を実践している人物だ。ちなみに、彼によると「辰(たつ)年で東京五輪が開催された年(1964年)」生まれだ。  僕とは10年前に知り合った。以来、山に魅せられた彼は一緒にヒマラヤのカラパタール、富士山の村山古道(田子の浦から26時間かけて富士山頂上に行く

パラに見た人の可能性

 2月の平昌冬季五輪の後はスキーヤーとしての仕事が立て込み、毎日、雪の上に立っている。平昌パラリンピックはその合間を縫ってのテレビ観戦だった。  先日、滞在先のホテルで見たアルペンスキーの1種目、視覚障害者によるスーパー複合(スーパー大回転と回転を1本ずつ滑る)には本当に驚いた。視覚障害のある選手が前を滑るガイドスキーヤーの導きに従いながら旗門をくぐり、タイムを競う。  ガイドと選手は無線のマイクでつながれている。そこから聞こえるガイドの指示を頼りに、選手たちはものすごいス

文武両道のスキーヤー

 韓国の平昌では五輪が終わり、パラリンピックが大詰めを迎えているが、「次」を目指す取り組みはとうに始まっている。先日、4年後の北京冬季五輪に向けた選手育成を目的に「ナスターレース・ユースジャパンカップ」が苗場スキー場で開催された。  前走にはアルペンの古今の名選手が登場した。ひとりは平昌五輪に出場したばかりのオリンピアン、石井智也選手。ひとりは、かつて4度にわたってワールドカップ(W杯)大回転の種目別総合優勝に輝いたスイス人、ミヒャエル・フォングリュニンゲン氏である。  初

五輪 もう一つの主人公

 先日閉幕した平昌五輪でフリースタイルスキーのテレビ解説を受け持った僕は、ちょうど20日間を会場のフェニックス・スノーパークで過ごした。  僕が携わる冬季五輪はこれで7大会目である。モーグルの選手として2大会(1994年リレハンメル、98年長野)、解説者として5大会(2002年ソルトレークシティー、06年トリノ、10年バンクーバー、14年ソチ、18年平昌)。五輪の主役はもちろん選手たちだが、開催国(開催都市)もまたもう一つの主人公だと僕は感じる。過去7大会で訪問したそれぞれの

スキークロスは情報戦

 平昌五輪が閉幕した。解説者として現地にいた僕の最後の仕事が女子スキークロスであった。  スキークロスは通常4人同時にスタートして様々な障害物を乗り越えながらゴールを目指し、うち上位2名が次のラウンドへ勝ち進む。日本ではまだなじみの薄いこのフリースタイルスキー種目に、日本勢として唯一出場したのが梅原玲奈選手。彼女はもともと日本屈指のアルペン選手であった。ターンに定評があり、過去に回転や大回転で全日本を制している。  その梅原選手が雪上の格闘技ともいわれるスキークロスを始めたの

ワックス、静かなる進化

 平昌五輪のテレビ解説のため現地で取材を続けているうちに、金谷浩司さんと再会することができた。  金谷さんは全日本チームのサービスマンとして、フリースタイルスキー・女子ハーフパイプの小野塚彩那選手と女子スキークロス代表の梅原玲奈選手のスキー板の整備を担当している。これらはフリースタイルスキーの中でも、特にスキーの仕上がりに左右される種目といえる  ハーフパイプはパイプを半分に切ったようなコースを滑り、垂直に切り立った壁のふちを使って飛び上がる。この雪の壁がカチカチに硬い。滑り

受け継がれたもの

 平昌五輪のフリースタイルスキー。12日夜、モーグル会場のフェニックス・スノーパークでは男子決勝3回目に勝ち残った6人の選手が最後のメダル争いを前にして、体を動かしたり、自分の滑りのイメージづくりに励んだりしていた。  そのひとり、原大智選手は2回目の滑りで最高得点を出していた。最後の3回目では最終走者となり、メダルが目の前にちらついている。常人であれば、まともな精神状態ではいられないはずだ。  僕はゴールエリア近くにあるテレビの解説席に座り、出走直前の選手の様子を映し出す

五輪の秘めたる力

 先日、長野県高山村にある「YAMABOKUワイルドスノーパーク」で毎年恒例のスノーシュー体験会を行った。快晴に恵まれ、リフトを降りると正面に北信5岳を望むことができた。中心にそびえる飯縄山が目に入り、20年前の長野冬季五輪が思い出された。  あの山の麓にある飯綱高原スキー場は長野五輪フリースタイルスキーのモーグル会場だった。1998年2月8日に予選が行われ、勝ち残った男子16人、女子16人の選手が11日の決勝でメダルを争った。当時僕は28歳。現役選手として最後の五輪という

五輪で味わった緊張

 2月9日の平昌五輪開幕まで2週間を切った。僕はフリースタイル競技4種目の解説のため現在、多くの選手やコーチから話を聞いている。今月20日にカナダでワールドカップ(W杯)初優勝を飾った堀島行真選手(中京大)の話しも電話で聞くことができた。昨年、堀島選手はフリースタイルスキー世界選手権のモーグルとデュアルモーグルの両方を制した。これは過去にも成し遂げたことのない偉業である。  あれから彼がどのように過ごしたかを一通り聞いた後、「がんばって」と結んで電話を切ろうとすると反対に堀島

けが乗り越え輝く選手

 毎年恒例の「K2キャンプ」が先日開催され、僕も顔を出してきた。スキーとスノーボードにおけるトップライダーが集結するキャンプである。  ゲレンデやバックカントリーで道具を一日中試乗する。その後の夜の意見交換も楽しみの一つである。話が弾んだ相手がスノーボードのプロライダーである田中幸さん。彼女はスロープスタイルの公式練習中に大けがを負った話を僕に聞かせてくれた。  その日は晴れていて、コンディションは良さそうだった。キッカー(ジャンプ台)は過去に試したことのないもので、常であ

経験から雪崩を予報

 北海道のニセコ地区では現在、防災科学技術研究所の雪氷防災研究センターによる雪崩研究が行われている。研究チームは新潟県長岡市から来ていて、ニセコ雪崩調査所所長の新谷暁生さんが経営するペンション「ウッドペッカー」に居候している。名古屋大学大学院の西村浩一教授の研究チームで、西村教授にとって新谷さんもまた興味深い研究の対象である。  新谷さんは一流の登山家であり、世界を股にかけるシーカヤックの乗り手である。同調査所の所長としても過去に何度も当欄に登場している。  ニセコのスキー

スキーが上達するコツ

 恒例のキッズ・スキーキャンプを今冬も開催した。もう40年以上続いているキャンプは、小学生から高校生まで幅広い年齢の子供達を対象としている。  当然、スキーが上手な子も不慣れな子もいる。僕が一番苦労するのは子供達に話を聞かせることである。特に小学生は集中力が続かなかったり、すぐにふざけたりして、こっちが伝えたつもりででもちゃんと理解できていないことがある。スキーは自然とつき合うスポーツであり、重要な話が伝わらないと事故につながりかねない。  そこで今回は、僕たちスノードルフ

情熱あふれる冒険者

 先日、星野誠さんの7大陸最高峰登頂祝賀会を行った。星野さんとの出会いは3年前。僕たちミウラ・ドルフィンズが主催する登山学校「IPPO塾」に星野さんが参加したときだった。数回のレクチャーの後、最後に塾生と一緒に富士山に登った。その登山の最中、星野さんは「どうしたらエベレストに登れますかね」と相談してきた。  星野さんはメガネ屋のオーナーで、聞けば登山経験はほとんど皆無。エベレストとは、そんな人が簡単に登れる山でもない。だが、口調は軽いものの星野さんの目は真剣そのもので、こちら