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文武両道のスキーヤー

2018年3月17日日経新聞夕刊に掲載されたものです。

 韓国の平昌では五輪が終わり、パラリンピックが大詰めを迎えているが、「次」を目指す取り組みはとうに始まっている。先日、4年後の北京冬季五輪に向けた選手育成を目的に「ナスターレース・ユースジャパンカップ」が苗場スキー場で開催された。
 前走にはアルペンの古今の名選手が登場した。ひとりは平昌五輪に出場したばかりのオリンピアン、石井智也選手。ひとりは、かつて4度にわたってワールドカップ(W杯)大回転の種目別総合優勝に輝いたスイス人、ミヒャエル・フォングリュニンゲン氏である。

 初日のレース後、主催者と子供達を交えたウェルカムパーティーが催された。この時、僕が理事長を務めるナスターレース協会の名誉会長である猪谷千春氏が講演でスキー上達のコツを教えてくれた。猪谷氏は日本アルペン史上唯一の五輪メダリスト。のち米保険大手AIG傘下の損害保険会社AIU(当時)に入社し、そのグループ会社の社長を務めた。実業家であり、国際オリンピック委員会(IOC)副会長として五輪の普及活動にも尽力したスキー界の巨人である。

 実像が大きすぎるせいだろう。僕は猪谷氏に対して「お堅い」イメージを抱いていたが、誤りだった。猪谷氏が現役選手だった頃、アルペンの旗門は太い木の棒だった。当たると痛くて、体が跳ね返される。そこで猪谷氏は、試合を想定して林の中を滑り、立ち木を旗門に見立てて練習。スピードや空中感覚をつかむため、崖や地形を利用して大きく跳躍した。講演では、当時の白黒写真がプロジェクターで大写しになった。そこにいたのは「お堅い偉人」ではなく、自由な発想を遊ばせて世界の頂点を目指す青年であった。
 猪谷氏はまた、米ダートマス大学に留学した当時の話もしてくれた。アイビー・リーグと呼ばれる米国北東部の私大8校の一角を占める名門校だ。ここでは成績が落ちたらスキーができなくなる。猪谷氏はトレーニングをしながら勉強する方法を考案した。スクワットや腕立て伏せをしながら本を読むというのだ。「居眠り防止にもなるからね」とは、ご本人のユーモア交じりの述懐。こうして猪谷氏は大学スキー部でキャプテンを務めながら4年で卒業し、学業最優秀の学生を対象とするダートマスカップまで授与された。

 子供達に「頭を使って努力すればできないものはない」と語り、夢を持つことの大切さを語った猪谷氏。まさしく文武両道の体現者である。

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