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けが乗り越え輝く選手

2018年1月20日日経新聞夕刊に掲載されたものです。

 毎年恒例の「K2キャンプ」が先日開催され、僕も顔を出してきた。スキーとスノーボードにおけるトップライダーが集結するキャンプである。
 ゲレンデやバックカントリーで道具を一日中試乗する。その後の夜の意見交換も楽しみの一つである。話が弾んだ相手がスノーボードのプロライダーである田中幸さん。彼女はスロープスタイルの公式練習中に大けがを負った話を僕に聞かせてくれた。

 その日は晴れていて、コンディションは良さそうだった。キッカー(ジャンプ台)は過去に試したことのないもので、常であれば台を横から見たりインスペクション(下見)をしたりするのだが、田中さんは調子がよく、下準備なしでも飛べると感じたそうだ。しかし、そのジャンプが跳びすぎて、着地の地点をはるかに越えた平らなところまで行ってしまった。
 衝撃が体を貫いた。背骨は脱臼骨折、脊髄を損傷して、胸から下が完全にまひした。田中さんは親にだけは迷惑をかけないと誓い、再び雪の上に立つためにリハビリに励んだ。その結果、信じられないことに、いまこうして僕と一緒に雪上を滑っているのである。 

 脊髄損傷とは、スポーツ選手にとって最悪のリスクである。幸い田中さんはプロライダーとして復帰したが、僕の身の回りには大きな怪我の後、後遺症が残った人もいる。
 小学生のころからの僕の幼なじみである本間篤史は、ナショナルチームで活躍したモーグル選手であった。彼はある日、モーグルを滑っている最中にビンディング(靴を板に取り付ける器具)を誤って開放して転倒、頚椎(けいつい)の粉砕骨折を経験した。握力がわずかに残る以外はまひが残った。しかしその後、車椅子生活にもめげずにチェアスキーを始め、チェアラグビー、カーリングにも挑戦している。
 スノードルフィンズの仲間である田中哲也はバイク事故で右足を失った後、アルペン競技で長野とソルトレイクシティーのパラリンピック両大会に出場。ゴルフトーナメント出場や自転車でオーストラリア横断といったチャレンジを続けている。

 競技の世界を退いた田中幸さんがプロのライダーになったのは、スノーボードにはバックカントリーという大きな舞台が残されていると感じたからだ。生命を脅かすほどのけがを負った後、なお世界を広げて行く彼、彼女らにまぶしい命の輝きを感じる。

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