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五輪 もう一つの主人公
2018年3月10日日経新聞夕刊に掲載されたものです。
先日閉幕した平昌五輪でフリースタイルスキーのテレビ解説を受け持った僕は、ちょうど20日間を会場のフェニックス・スノーパークで過ごした。
僕が携わる冬季五輪はこれで7大会目である。モーグルの選手として2大会(1994年リレハンメル、98年長野)、解説者として5大会(2002年ソルトレークシティー、06年トリノ、10年バンクーバー、14年ソチ、18年平昌)。五輪の主役はもちろん選手たちだが、開催国(開催都市)もまたもう一つの主人公だと僕は感じる。過去7大会で訪問したそれぞれの国に特徴があり、それぞれの楽しみを与えてくれた。
リレハンメル(ノルウェー)では選手村に滞在した。ここでは24時間いつでも飲み食いができて、しかも無料。ノルウェー産のスモークサーモンが食べ放題であったことを覚えている。長野では会場である飯綱高原のペンションに泊まった。おいしい料理と温泉が地元開催のプレッシャーをやわらげてくれた。ソルトレークシティー(米国)は僕がスキー留学で16年を過ごした第二の故郷である。モルモン教の総本山としても有名な土地柄で、飲酒の制限が厳しい。ところが五輪期間中はこの規制が緩み、レストランやバーはえらく繁盛していた。
バンクーバー(カナダ)でも繁華街のロブソンストリートは毎日お祭り騒ぎだった。トリノ(イタリア)で食べたパスタはしっかりとゆでてあり、「この国のバスタは全部アルデンテ」という僕の誤解を解いてくれた。ソチ(ロシア)のスポーツバーでは見知らぬおじさんにウオッカをおごってもらって大騒ぎ。どれも楽しい思い出だ。
今回の平昌は、なにより食事がおいしかった。フェニックス・スノーパークの周りに家庭的な料理店があり、そこで食べたキムチとタラ鍋が絶品だった。また五輪開催期間は韓国の旧正月にあたり、お餅の入ったトックという雑煮が出てきた。食事以外でも印象に残ったことはある。たとえば、ホテルのエレベーター。4階のボタンが「F」と表示されていた。「4」は「死」を連想させるため、これを避ける習わしが韓国にあるのだそうだ。ささいなことだが、このあたりは日本と通じるものがあると思った。
開催国の国民性や文化を伝えるのも五輪の力。2年後の夏の東京大会でも、私たち日本人の知られざる特色が世界に伝わるといいと思う。
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