見出し画像

受け継がれたもの

2018年2月17日日経新聞夕刊に掲載されたものです。

 平昌五輪のフリースタイルスキー。12日夜、モーグル会場のフェニックス・スノーパークでは男子決勝3回目に勝ち残った6人の選手が最後のメダル争いを前にして、体を動かしたり、自分の滑りのイメージづくりに励んだりしていた。

 そのひとり、原大智選手は2回目の滑りで最高得点を出していた。最後の3回目では最終走者となり、メダルが目の前にちらついている。常人であれば、まともな精神状態ではいられないはずだ。
 僕はゴールエリア近くにあるテレビの解説席に座り、出走直前の選手の様子を映し出す国際映像をモニターで見ていた。すると「もう楽しくてしょうがない!」と陽気な声が聞こえてきた。原選手である。僕は耳を疑った。見ているこっちは心臓が飛び出そうなのに、当人は笑いながら体を動かしていた。なんというハートの強さだろう。

 スタートに立つと先ほどの笑顔から一転、集中力がみなぎる強い目つきに変わった。コールとともにスタートを飛び出し、滑らかにコブを越えていく。平昌の極寒の空気にさらされた硬く鋭く大きなコブに、多くの選手がはじかれていた。だが原選手は動じない。
 強みである強靭な脚力によって、下から突き上げられるようなコブの衝撃をみごとに抑え込み、攻撃的に滑る。2つのエアもしっかりと決まって、ゴール。採点を待ちながら、原選手は両手を合わせている。
 2位のマット・グレアム選手(オーストラリア)にわずかに届かなかったが、堂々の3位である。五輪の男子モーグルにおいて、ついに日本人初のメダリストが誕生した。僕にとっても感慨深い瞬間であった。今回結成された日本チームは本当に強かった。ベテラン選手である遠藤尚、西伸幸の両選手は幾度となくワールドカップ(W杯)の表彰台に立ち、原選手と世界選手権2冠の堀島行真選手を引っ張ってきた。

 誰もがメダルに届く場所にいた。そして彼らを率いたコーチは、現役時代に僕と一緒にW杯や五輪を戦った附田雄剛と上野修の両人。ともにW杯では活躍したものの、五輪では大きな壁に阻まれてメダルに届かなかった。苦い思いをした彼らが、自らの経験を後輩に伝えて大きく育て、これほどまでに強力なチームを作り上げたのだ。男子モーグルの歴史が脈々と受け継がれているのを感じて、目頭が熱くなった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?