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責任ってなんだろう。 -マネージャーとして復職して考えたこと-

こんばんは、みつまめです。
適応障害で3ヶ月間休職し、7月半ばから復職。
職位も職種もそのまま、元いた場所に戻りました。

私の適応障害の原因は、「昇進したこと」
今でも私はマネージャーに向いていないと思っています。

それでもなぜ、私はマネージャーとして復職したのか。
責任って何なのか。

ここ最近の出来事から、とりとめもなく考えたことを残してしておきます。



・適応障害になっても、もとの場所へ戻った理由

私は元々今の業務は好きで、やりがいも感じていました。
そこそこ忙しかったけど、激務というほどでもありません。
ドライな人(シャイな人?)が多いものの、人間関係も特別悪くありませんでした。
適応障害になった理由が、昇進くらいしか思い当たりません。

適応障害は原因から離れると改善するものなので、私の場合は降格すれば良い、と言うことになります。
それでも、私はマネージャーの立場のまま復職しました。
上司が「本人(私)が強く希望しないなら、降格させる気はない」と言ったからです。

昇進をきっかけに、メンタルを病んで休職までしてしまった。
上司の思い描いた事とは、真逆の結果を残してしまった。
それでも上司が「降格させる気はない」という意味を、考えてみたいと思ったのです。


・マネージャー像のズレ

「私がイメージするマネージャー像」と、上司が「私に期待するマネージャー像」にそもそもズレがある。
それに気づいたのは、復職面談の時でした。

私がマネージャーと聞いて思い浮かべるのは「責任ある立場」「部下に指示して業務を遂行させる」「部下に慕われるカリスマ性のある人」

前職で尊敬する女性上司がいたので、私はその女性上司を理想とし、目標にしていました。
私のイメージだと、今の「部下がいないマネージャー」という状況にはかなり違和感があります。

それに対して、上司が私に期待しているのは、「裁量権を持つことで、私のやりたい事の精度を上げて実現して欲しい」というもの。
上司のイメージなら、会社が許可し約束した成果があげられるのなら、実現するための手段も、部下の有無も関係がありません。

もしかすると、上司のイメージするマネージャー像はあまり一般的ではないのかもしれません。
だって、採用面接とかで役職・リーダー経験を伝えるときは、規模感を伝える意味も含めて部下の人数とかPRしますもんね。
(「◎◎課の課長を拝命、部下✕名」とか)

世間一般の思うマネージャーには、私はなることが出来ない。
人に指示することにストレスを感じる、何ならずっとプレイヤーでいたいと思っている。

そんな私でも、上司のイメージするマネージャーになら、なれる可能性がある。
やるものならやってみたい、そう感じたのです。


・マネージャーを降りて復職したらどうなっていたか

正直、職位もそのまま復職したのは正しい選択ではなかったかもしれない、と思っています。
現に復職して1週間も経たないうちから、無理してマネージャーの仕事をしています。
何なら、自ら名乗りを上げてまで。
かなり頑張りすぎている自覚もあります。

いまだに、何か判断を迫られる状況になると恐怖を感じ、頭痛や動悸が出ます。
今日も次から次へと入ってくる情報に翻弄され、心臓がギュッと捕まれたような感覚があり、苦しくて涙が出そうになりました。

あ、だめかも。

という感じも何度かありました。
無理したダメージがかなり出て、体調も気分も不安定な状態を引きずってしまいます。


では、もし降格してから復職していたらどうだったのか。

私にできる事が目の前にあるなら、私は「元マネージャーだから」と結局進んで仕事をしたでしょう。
周りが求めなかったとしても、困っている状況に見て見ぬふりは出来ない。

上司が降格を勧めない理由は、私の性質も一因なのかもしれません。
マネージャーであろうがなかろうが、同等の仕事をする(してしまう)なら、マネージャーでいた方が周囲の納得感も違いますもんね。

一般社員が突然仕切りだしたら、「急にしゃしゃり出てきた人」です。笑
私自身も、「マネージャーじゃないのに何でここまでしているのか」と、もやもやしていたかもしれません。


・責任って「自分事としてとらえること」だと思う

私が思う責任とは、「自分事としてとらえること」だと思っています。

責任感が強い人というのは、「自分事としてとらえる範囲が広い人」と言い換えられるかもしれません。

私はやたら人に感情移入して共感しがちなタイプのため、自分事としてとらえる範囲が広く、責任感が強い人だと言えそうです。


・責任感を発揮させる方向を間違えているのかも

私がマネージャーと聞いて思いうかべるのは「責任ある立場」「部下に指示して業務を遂行させる」「部下に慕われるカリスマ性のある人」

私のマネージャー像のなかには、「部下」が2つも出てきました。

マネージャーが部下の業務に対して責任を持つ、というのは大切な事ではあります。
業務を遂行して成果をあげるためには、部下にのびのびと仕事をしてパフォーマンスを発揮して貰う必要があります。
マネジメントって、そういうものだと考えています。

でも、私は部下の業務意外の事も含めて考え、注目しすぎているのかもしれない、ということに気づきました。
元々がプレイヤー志向なので、どうしてもプレイヤー(部下)の心情が理解しやすく感情移入しがちです。
感情移入すればする程、現状の全てに責任を感じてしまいます。
でも、上司が求めているのは「私自身が成果を上げること」に対しての責任感。
部下なんか関係ないと言うのは言い過ぎですが、感情移入しすぎる私は、「私に関わる業務の範疇以外は知ったこっちゃない」くらいに割り切って考える必要がありそうです。

・考え方を変えるって難しい

私は企業に所属している会社員です。
そして企業の中でマネージャーという役割が与えられている以上、企業としての方針に納得感がないのなら辞めた方が良いと思います。
納得が出来ない事を人に指示する事程、苦しいことはないからです。

私は、企業(上司)の示す方針に納得したから、同じ場所へと戻りました。
納得はしているけど、元々の考え方にどうしてもとらわれてしまいます。

変えられるのは自分自身しかない、と言うことは休職した経験から十分理解しました。
自分自身は変えられるという手応えも何となく掴めました。

でも、考え方を変えるのは、やっぱり難しい。


・頑張りすぎが止められないなら、どうすれば良いのか

責任感からつい頑張って、自ら無理してしまうことは自分でどうしても止められないようです。
「共感・感情移入しすぎ」は私らしさでもあるので、変にコントロールしようとする方が間違っているかもしれません。

とはいえ、責任感が極まって再休職…というのは出来れば避けたい事態です。


今後の方針としては

・責任感は大いに発揮する。頑張りたいのなら頑張る。
ただし、責任の方向性が本当にあっているのか、冷静になるきっかけを探す

・しつこいくらい報告し、責任の方向性をまめに確認・修正する

・自分の出来る範囲はここまでと線引きしてしまい、事前に周囲へ宣言する
(要約:それ以外は知ったこっちゃない)

思い当たるのは、こんなところでしょうか。

復職して11日目。
適応障害であることに代わりはないので、まだ道半ばです。

自分がより働きやすい方へ考え方を変えていけるように、引き続き色々と模索していきます。

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