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暇はメンタルの“天敵”

昔から忙しい人間であった。
学生時代はいつもサークルや部活に明け暮れ、オフの日は外に遊びに行く。
社会人になってもそれは変わらず、平日は仕事だし休日は演劇や舞台の映像演出の活動に勤しんでいた。

漫画やゲームに時間を割いてなかったと思う。
そういった忙しさもあって、時々自分は「暇になりたい」と願っていた。
何もない日にダラダラと漫画やゲームに勤しみたいと。

ただ、最近その「暇」が自分のメンタルを破壊する要因になっていることに気づいた。

どれだけ暇になったのか

仕事とプライベート(≒休日)の2軸で話そう。
まず仕事は特に追われてやることというのがなく、
日によっては「ミーティング以外のタスクなし」ということがあったりする。
あまり言いたくないが、暇すぎてゲームも少しした。
ちなみに職場全体は退屈かというとそうではない。忙しくまぁまぁ労働環境がエグい部署もある。
ただ自分に関しては「関わってるプロジェクト/案件が頓挫した」
「自発的な取り組みをやめた」ということがあって暇になっているのだ。
2つ目に関しては「暇なら何かやれよ」と思うかもしれないが、
会社の状況的に見切り発車な施策が多く、
関わると逆に苦労するので正直関わりたくないのだ、、、

そして休日。
北海道に転勤して2年が経つが、
未だこちらで新しいコミュニティーを築けていないし、
何か団体に入って活動もしていない。
遊びに行くのも会社の人たちだ。
その会社の人たちも2年前に来たばかりの時は沢山遊んでいたが、
今となってはそれぞれのプライベートができたり転職したりと、
会う回数が減っていったように思える。
故に一人の時間が多いし、
やることもないので「何しよう」みたいな時間が増えていった。

暇になった結果・・・

結果、最近はメンタルが病みつつある。
どう病んでいるかというと、
「ネガティブに考え込む」
「将来の不安が大きくなる」
「無気力感」
「生きてなくてもいいと考えるようになる」
こんなところであろうか。

もともと自分はネガティブで考え込みやすいタイプなので、
空白の時間ができることによりこの「考え込む」ことをしてしまっているようである。
「じゃあ漫画やゲームやれば?」と思うかもしれないが、
もともとこれらに熱中する習慣を持っていないため、
やればやるだけ逆に苦痛を感じてしまう。
一時期やっていたが、時間を消費している感覚に陥って良い気分がしない。

暇は幸福の敵

これは個人的な持論だが、
暇というのは人生の幸福度を大きく下げるものなのではと思う。
人間というのは感情的な生き物だが、
ちょっとでも考える時間ができるとネガティブに走るのではないか
不安を抱える暇がないくらい活動的になった方が良いのだ。

振り返ると学生時代は暇がなくネガティブになる暇がなかった。
それはサークルや部活にもよるが、
そもそも学校という時間がギチギチに決められた環境があるからだと思う。
「暇」という時間がないのだ。

今社会人になった以上
そういった時間の使い方も自分で考えなくてはいけないのだが、
正直今の環境やら仕事が退屈に拍車をかけている。

いったいこの状況をどう打破すれば良いのか。
東京戻って元々やってた活動再開させたいなぁ・・・

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