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死生観研究

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#思考のあわい

全ては決まった偶然だとしても

先週のデスカフェで、興味深い話題になった。
きっかけは「自殺についてどう思うか?」という、ハードな話題提供だった。
ここからどう展開するかな…と見守っていたら、「命は誰のものか?」という方向に話が動いた。

自殺や安楽死は「死ぬ権利」という文脈で語られることが少なくない。
特に安楽死先進国では、個人が自由に生きる権利の中に「死の選択」を含むという考え方が採用されることが多い。

でも、そもそも命は

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それはほとんど見送る準備

どうも「終活」という言葉がしっくりこない。

正確に言うと「就活」「婚活」のような「○活」という言葉があまり好きではない。
誰かが言っていたが、○活は想定される理想のルートがあって、そこに乗らなければいけないイメージがある。
それが大変気に入らない。
昭和の日本ならともかく、今の時代にそんな考え方はそぐわない。

でも、一方で○活という言葉はとても便利だ。
特定の目的に対してアクションを起こすこと

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「ただ見えなくなるだけだ」なのか?

デスカフェを開催し始めて、1年と少し経った。
3年前の父の死を機に、死別の悲しみや、そもそも人が死ぬことの意味をずっと考えてきた。
これは私だけが思っていることなのか?
他の人は死についてどう思ってるのか?
そう思いながら気がつくとこの3年、死について何も考えない日はなかった。

私は死に取り憑かれているのか?
そうとも言える気もするし、そうではないとも言える。
死を考えると言っても、ずっと希死念

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拡張する身体はサイボーグ化するか?

「車を運転してる時、擦られたりするとものすごく頭にくるでしょう?あれは車体までが自分の一部のようになってるからですね」

週末の講義で精神科医の先生からこんな話を聞いた。
何か道具を使っている時に、しばしば人の身体感覚は拡張する。
一流アスリートなら例えば剣道なら竹刀まで、卓球ならラケットの先までが自分の手足のように感じるという。
道具越しの感覚にも関わらず「球が柔らかい」とか「氷が硬い」という表

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身体性、それが問題だ

WEB墓が最近話題らしい。
ネット上に予め自分の墓を作る動きは以前からアメリカであったようだが、ここ数年日本でも類似のサービスを展開するビジネスが出てきている。
永続性や個別性を担保するためにブロックチェーンを使ったNFTを活用するものもあるようだ。

Facebookでも死後にアカウントを「追悼アカウント」にできる設定がある。
(生前に自分の死後の管理者を指名しておく必要がある)
個人的にはWE

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