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特別って、難しいけど素敵だね

今日も1日、おつかれさまです。

私は、特別っていう感覚がずっとわかりませんでした。

特に、学生時代なんかは、
誰からも好かれていなければならない
と思っていたため、
かえって、誰かを優先することもできてなかったと思います。

先約を優先したり、誰にでも同じ態度をとったりと、
誰にたいしても、平等に接していました。

さすがに、仲のいい人とそうでもない人との間に差が全くない
とは言えませんがね、、

それでも、一緒に外出をするような関係の人同士では、
友達も、親友も、恋人も、
(冠婚葬祭などの緊急事態を含めた)余程のことがない限り、
先約を優先して、平等だったと思います。

私のなかでは、誰にでも平等であることは、
その相手からも、均等に好かれることと感じていました。

誰かを優先することは、その他の誰かを大切にしないことだと、思っていたのです。

だから、誰にたいしても、平等でいました。

そんな私は、特別が、あまりよくわかりませんでした。

特別って、その人を大切にして、優先するということ、、、
私はそんなことできないから、
私には、特別がないのかな
と思っていました。

過去に、
「クリスマスは恋人と過ごすものでしょ」
という内容で、かつての恋人と喧嘩をしたことがあります。
私が、そのクリスマスは友人と映画をみる予定だったため、
先約があるからと断ったことが、喧嘩の原因でした。

「なんでわざわざクリスマスに友達と映画に行くの」
「クリスマスは大事な日だから、恋人の俺を優先して、別な日に行ってほしい」

今の私なら、彼の言い分も少しはわかりますが、
当時の私は、そもそも、クリスマスに恋人と過ごす
という特別感がよくわかりませんでした。

そのため、クリスマスということに関心はなく、
単に休みの予定があったから、友達と映画をみようということになっていたのです。

特別って、難しいですね。

それからは、イベント事に興味があるかはさておき、
予定を決めるときには、少しだけ気にするようにはしていましたよ。

余談ですが、
今は、イベントなどの特別なときに、
この人とこういうことがしたい、といった憧れをもてるくらいには、
特別がわかってきたと思います。

先約があったら、もちろん、そちらを優先することは変わりありません。

それでも、
クリスマスだから、プレゼントを一緒に選んだり、イルミネーションを一緒に見たりしたい
という特別感を感じられるようになりました。

イベント事に興味をもったり、こんなことがしたいって思ったりできるのは、
素敵なことですね。

特別な人と出会って、私にとっての特別が、
わかってきて、心があたたかくなりました。

あくまで、優先することはないですが、
(大切な人に優劣をつけたくないという、曲げたくない信念)
今の私は、特別って素敵なんだなって、感じます。

特別だと感じることで、
特別は1つだと思っていたけど、
ほんとはたくさんあっていいものなんだなって、思いました。

あなたを特別な人だと思うと同時に、
この人も特別だし、あの人も特別だって、
気づくことができました。

特別って、難しいけど、素敵ですね。



余談はこのくらいにして、話を戻します。

当時の私にとっては、友達も恋人も、
どちらも平等に大切だと思っていたため、
「恋人だから優先するべきだ」と、主張する彼のことを、あり得ないと思ってしまいました。

なんだかんだ、彼とは縁をきることになりましたね。

結局、当時の私は特別がわかりませんでした。

みんなに好かれたい、みんな平等、
誰かを優先せず、先約をまもる、
誰からも嫌われない自分のために、
特別も優先も、しないのです。

そう心に決めていました。

みんなに優しい。
基本的に、誰にたいしても、平等に接する。
私は私のままでした。

いきなりですが、
乃木坂46の『Monopoly』という曲を聞いたこと、ありますか?

私も音楽番組でちらっと聞いた程度なので、
解釈がおかしいかもしれません。
その点は申し訳ございません。
ご了承ください。

あくまで、私の個人的な感想として、
話していきます。
解釈違いでしたら、申し訳ございません。

「優しさを愛だと勘違いしていた
僕は一人、浮かれていただけだ
みんなに優しい君に腹が立つ
愛は僕のMonopoly 」

優しい女の子を好きになった男の子。
しかし、その女の子は、誰にでも優しい人で、自分にだけ優しいわけではないことに気づいてしまいます。
そんな心情が描かれているように感じました。

ちなみに、Monopoly には、独占
という意味があるようです。

主人公が、誰にでも優しい君の優しさ、恋心を独り占めしたいということでしょうか?

主人公の憤りも感じましたが、
私が注目したいのは、
誰にでも優しい相手のことです。

誰にでも優しい人は、
誰にたいしても平等で優しい
ということだと思います。

誰にたいしても平等ということは、
特別という感覚がないのかもしれないと
感じました。

特別な気持ちがあったら、
誰にでも優しいには、限度があるかもしれません。

特別な人がいたら、
少しは違いが現れる可能性があり、
勘違いされるほどの優しさはみせられなかったり、
特別な人がいると気づかれたり
するのではないでしょうか?

つまり、誰にでも優しい君には、
特別な人はいない可能性があるかもしれません。

特別がわからないから、
私のように、誰にたいしても平等に接しているのかもしれないと、感じました。

みんなに優しいから、
誰からも好かれていて、
特別な人がいるように感じさせない
のかもしれません。

ほんの少しだけ、気持ちがわかるかもしれないと思いました。

あくまで私の解釈です。
私の個人的な感想でしかありません。

解釈違いの可能性があります。
申し訳ございません。
ご了承いただきますよう、よろしくお願い致します。


私は、特別がわからないままでした。

誰かを特別にしたら、他の人が特別じゃなくなると思っていました。

ほんとはそんなことないって、

誰かを特別だと思うことで、
ずっと特別だと思っていたことに気づいて

特別は1人じゃないって、
この人もあの人も特別だって感じられて、

特別って、不公平なことじゃなくて、

もちろん、先約をまもることは大切で、
これは曲げたくない大切な信念で、

そのなかで、
この人と、こんなことがしたいって
特別感があって、

特別な人はたくさんいて、

特別だと思うことで、もっと大切にできて、
まわりまわって、大切にしてくれるんだと思います。

特別って、難しいものだったけど、
身近にたくさんありました。

友達も恋人も、特別な存在だって、
気づいたら、
心があたたかくなりました。

誰かを特別だと思うことで、
自分も特別だって、気づけるのかもしれません。

特別って、難しいけど、とても素敵なものですね。


ここまでご覧いただき、ありがとうございます。
みさきの世界で、少しでも共感や安心を届けられますように。
みさき

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