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人見知りの私が舞台役者を志すまで

ありがとうございました!
この瞬間はふっ、と自分に戻って周りの方々への感謝とそれまで積み重ねた時間の終わりを感じる。私が舞台に立てたのは彼女との出会いがあったからだ。


彼女とは高校に入る直前の短い春休みに塾で出会った。同じ高校の生徒同士の顔合わせで初めて話した。彼女は演劇部に入るためにこの高校にしたと熱く語っていた。やりたいことのある彼女が羨ましかった。私はというと親に迷惑をかけたくなくてとにかく良い高校に行きたかっただけ。部活は中学でソフトテニス部だったから、ソフトテニス部かテニス部しかないと思いながらも、本当にテニスが好きなのかもわからなかった。


演劇部はたまに校内で公演をやっていた。でも結局テニス部に入った私は練習があるから観に行くことが出来なかった。

クラスが違う私たちは春休みが終わってからも塾で話すことの方が多かった。クラスにも部活にも居場所のない私には、彼女の話が新鮮で、心底楽しそうな姿をみるのが自分の事のように嬉しかった。もちろん楽しいことばかりじゃなくて、悩んでいたり、親の反対に押されて退部することになり悔しくて泣いたりしたこともあった。涙を隠す彼女はなんてことなさそうに振舞っていたけれど、陰ながら気にかけていた。

そしてあっという間に3年生。なんとか部活に復帰した彼女の引退公演の日。テニス部はその日も練習のはずだったのに雨が降った。そんな時はいつも階段ダッシュや筋トレをするのだけれど、たまたま早く終われたから公演を観にいくことができた。彼女は生き生きとしていた。いつも会っている姿、いつも話している声、同じはずなのに全くの別物で、照明の光の中が別世界のようだった。自分の部活をズル休みしてでも、今まで観に来なかったのが悔やまれた。彼女の姿ばかりが記憶に残っていて内容はあまり覚えていない。一際ハッキリと残っているのが、終演後全員で「ありがとうございました!」と礼をしていた姿だった。やりきった清々しさをひしひしと感じた。


大学生になって、私はテニス部と演劇部に入った。演劇部はもちろん彼女の影響。とはいっても、彼女は地元に、私は県外の学校に行ったから共に作品をつくることはなかった。大学の4年間では3回彼女の舞台を観に帰省したのだけれど、自分も演劇をしている身からレベルの違いがハッキリとわかって、改めて彼女を尊敬した。

(ちなみにテニス部はオフシーズンになると強制参加の飲み会ばかりになったから1年もせずに退部した。)

演劇部では、表に立つ自信がなかったから裏方をしていた。裁縫が好きだから衣装、それとお手伝いで大道具や小道具もした。役者さん達をより素敵に見せるにはどうしたらいいか、作品として何があるといいのか考えるのが楽しかった。でも方向性の違いなのかな?先輩が仲間割れしてみんな辞めてしまった。1年の終わりには何人かの先輩がお手伝いしにくるだけで、メインは私たちになっていた。とにかく人が足りなかったから、裏方の仕事を掛け持ったり役者さんにも何かやってもらったりした。

春休みには、新入生歓迎会にむけて練習していた。私は初めて役者をすることにした。2年生になるにあたって一歩踏み出したかったのかもしれない。仲の良いKちゃんとの2人劇。毎日台本とにらめっこして、セリフを頭に入れて、動きや表情、相手が何かしている間の待ちの演技、時に意見が衝突してみんなでウンウン煮詰めたり…とにかくがむしゃらにやった。私の大学の演劇部は近くの大学との合同部だったから、本番は2日あった。設備が違うからそれに合わせて、2つの大学を行ったり来たりしながらそれぞれに合わせた演出をみんなで考えた。大学が閉まったあともほとんど毎日部員の誰かの家で読み合わせをしたり、即興劇で自分磨きをしたりした。あまりゲームにならなかったけど、たまに人狼をやったこともある。今までと違って毎日が楽しかった。公演に向けてみんなで進んでいく感じがいかにも青春らしくて高揚した。

2回目の本番までなんとかやりきった。最後のお見送りで足が傷んで座り込む。片付けを少ししてから靴下を脱ぐと足の指がパンパンに腫れて青黒くなっていた。どうやら劇中の暴れるシーンでやりすぎたようだ。さすがに骨折してないだろうと思って、他の部員には「ゾンビみたいな色!バイオハザードや」って笑ってみせたけれど、みんな心配してくれた。K君は私をおんぶして学校の外まで連れて行ってくれて、Kちゃんは病院まで付き添いに、M君はもし骨折ならお金かかるから、と1万円を持たせてくれた。みんなの優しさが身に沁みて人知れず涙目になった。病院で診てもらった結果、剥離骨折だった。学校まで徒歩でたったの10分の道のりだったのに授業に出ることすらままならなくなった。

例年にならうと次は七夕公演だったけれど、後輩が入ったとはいえ人数が少なくて間に合わないと判断して見送った。代わりに10月の学祭に向けて少しずつ準備をすることにした。でもこの4月の新入生歓迎公演から学祭準備に入る7月後半の空白の期間に私の学年のほとんどが来なくなった。今となってはうろ覚えだが、後輩が入ったことによる変化がきっかけだった。そして早くも部を後輩に引き継ぎ、私の学年はやめていった。バラバラになっていくみんなを止めるどころか、私はまだまだ未熟で事態を悪化させた一員だった。

部活はやめても演劇はやめたくなかった。そんな思いから学内の部活やサークルとかじゃなくて一般の劇団に入団したけれど、それはまた別の話で。


思い返せば未熟だったなと思うことが多々ある。その度にもどかしかったり恥ずかしかったりするのだけれど、それでもこれでよかった。演劇に携わることができて、今では離れ離れになってしまったけれど不器用で愛おしい仲間たちに出会えて、本当によかった。中学・高校と部活で楽しい思い出なんてほぼなかったけれど、大学でやっと楽しい日々を、明日を待ち遠しく思う日々を過ごすことができた。きっかけをくれた彼女と、一緒に駆け抜けた仲間たち、応援してくれた方々へ、ありがとうございました。

次回↓


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