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4月から環境が変わるわが子へ。
入園や入学をひかえたわが子に、わたしたちママや
周りの大人たちがつい言いたくなる言葉がある。
『幼稚園たのしみだね』
『もうすぐ小学生だね』
半分は大人のウキウキした気持ち、
半分は子どもにはっぱをかけるような気持ちで。
でも、言わない。
『ママは自分に何を期待してる?』
『自分はそれに応えられる?』
そんなふうに子どもの人生に
多めの荷物を背負わせること、
わたしたちには簡単にできちゃ
自己肯定感の育みをつたえる理由。
わが子が生まれてきてくれて、しあわせで大切で。
「このためにわたしがいたのかも」
なんて思えるくらいの感動を胸に抱いたはずなのに。
気がついたら、子どもと生きることは
『しんどい今をどう乗り切るか』になっていた。
こうすればいい。
誰かの話す明確な答えに心が揺さぶられて
「わたしはうまくできない。」
「ダメなママかもしれない。」
自分にがっかりして、
少しずつわたしがわたしを嫌いになっていく
伝えてよかったんだね。
ごはんでベタベタした手でふれられるのが
すごく苦手なんだなぁってやっと認められた。
保育士もしてて、ママにもなって、
息子をいつでも受けとめたいという理想もあって。
だからいつもイライラしながら
『やめて』ってひとことでごまかしていた。
でも、今朝はなんだか
「わたし本当に苦手なんだと思う。」って
自分で気持ちを受けとめてあげて
あなたがだいすき。だけど
ベタベタの手でさわられるのは苦手。
小言を一切やめる、と決めた朝。
息子の口から りんごが出た。
横向きに座って、口いっぱいにほおばっていた。
「前を向いて座ってね」
「一口ずつゆっくりね」
無意識に出かかったことば。
でも、のみこんだ。
この先、それを言ってくれる人はたくさんいるから。
わたしたちは先生でも厳しい世間の目でもない。
この子を産んで、今のところきっと
この子のことを世界で一番愛している人。
そんな存在から わが子に贈れるのは
小さな注意や叱
手を離さなきゃいけないのは、ママのほうなんだね。
ひとりじめしたいくらい、
大好きでたいせつなわが子。
(離れたい、と思う日もあるけれども。)
だからこそ、わが子の分の悩みや不安まで
一緒に背負い込んでしまうわたしたち。
ふと周りを見回すと、物理的にはひとり(ワンオペ)でも
息子の世界には、パパもいてばあばもじいじも。
これからはお友達だって増えていく。
新しい世界をぐんぐん広げている子どもたちの
手を離さなきゃいけないのは
きっと、マ
わが子に伝えたい、たったひとつのこと。
“ あなたは いるだけで
人を幸せにする存在なんだよ。 ”
子どもたちって
ほんとうは みんなそう。
生まれてきてくれて
はじめて泣いた
はじめて笑った
はじめて握った
はじめて蹴った
そんな ひとつひとつの、小さな小さな“ はじめて ” で
育っていくいのちの尊さや力づよさを
見せてもらっている気がします。
育っていくごとに、当たり前に感じてしまう
“ わが子
イライラの、もとのもと。
あぁ、またイライラしてる。
また子どもにあたってる。
わたしって、なんでこうなんだろう。
落ち込んで反省して 寝顔に謝ったこと、
きっと一度はあるんじゃないかな。
そんなとき 自分にかける言葉は
「なんでそんなにイライラしてるの?」
「なんで子どもにあたってるの?」
「わたしって最低。」
ちょっと冷たい目をして、冷たい声で言い放つ。
ひとり反省会をするけれど
次の日にはまたカッとなって
ママの自己肯定感が下がるのなんて、簡単。
お尻拭きの在庫がきれた。
気づいたら、あと2袋になっていて
「あ、頼まなきゃ。」って思っていたのに
気づいたら最後のひと袋を半分使い終わってる。
さすがに間に合わないかなぁと思いながら
ポチッとしたら「明日届けますよ〜」って
お知らせメール。(そんな言い方はしてない。)
「お尻拭きの在庫も管理できないなんて、ダメなわたし。」って無駄に自己肯定感を下げずにすんで
今の時代に感謝。運んでくれる方