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みんな、どこかで傷ついてる‥

離婚者がどんなに増えようが、

離婚した経験がもたらした傷というのは、
変わらないのではないか、と
思います。

夫婦間だと、二人分の傷。
家族間だと、その人数分の傷をもたらします。

そして人それぞれに、

その傷を持ったまま生きていくのか、

癒して手放していくのか、

選択の自由があります。

その傷を持ったまま生きていく人は、

罪悪感を持ち続け、

こんな自分は幸せになっては、
いけないと

思い込んでいるのかもしれません。

離婚の傷が、

志望校に落ちた
国家資格が取れなかった
目標に達成できなかったなど

一人で失敗した傷よりも
もっと深いのは、

自分への傷と相手との傷が
二つあるから、

もっと深いのだろう、と

今更ながら、気づきました。


私の今までの恋愛経験は失敗ばかり。

何か原因があるのではないのか?

そんな時に、ネットサーフしていると、

お金もパートナーシップも人間関係も、
両親との関係性が影響している、ということを

よく目にしました。

私は今、両親には感謝しているし、

生きてる母とは良好の関係なので、

私には関係ないと、
思っていました。

でも、原因が知りたくて、

幼少期の両親との関係性について
見直そうと思いつきました。

私には3つ上の天使姉と、
5つ下の毒舌妹がいます。

私は、中間子。

昔、ミドルチャイルドシンドロームという
言葉が流行しました。

その時は、あまり気にも留めてなかったのですが、

なんとなく、そのことが要因なのかも?と
思いました。

幼少期の自分を思い出してみて、

思い出すのが、

よく生卵ご飯を食べていたこと。

そして、生卵の食べ過ぎで、
卵アレルギーが発生したと
思い込んでること。

毒舌妹が生まれてから、
私の人生は激変しました。

それまで可愛がられていた末っ子だった私が、
急に、欲しくもない妹ができて、

その座を奪われてしまったのです。

5歳ごろの私は、

お腹がすくと、母の元へ
ご飯を用意してもらおうと
行くのですが、

母は赤ちゃんの妹とよく寝ていたので、
起こそうとしても、起きてはくれず、

仕方なく、
生卵ご飯を自分で作って、
よく食べていました。

ある日、家族でお出かけをした時、

私は下着姿のまま、父の車に乗り、
誰にも気づかれることもなく、

現地に到着して、
車から降りて、

初めて、両親が気がついた、
ということがありました。

5歳頃の幼かった私ですが、
羞恥心や誰にも構ってもらえない悲しさを
感じました。

小、中、高校と、
両親のことを尊敬なんかできなかったけれど、

でも、心の中では、
尊敬できない自分を悪く思っていました。

本当に両親を理解し、良好な関係が築けるようになったのは、

父とは、私が社会に出てから。
母とは、私が海外に移住して、母から離れた時、
だったと思います。

幼少期を思い出すと、
今でも心が痛みます。

誰にも構われずに、
可哀想な私。

これを癒さないと、

パートナーシップが上手く行かないのでは
ないのだろうか?

今、私はその頃の自分と向き合って、

悲しかったこと、
辛かったこと、
寂しかったこと、
すべてを書き出して、

癒していく作業をしています。

これには時間がかかると思いますが、

少しずつ、癒していって、
手放していけたら、と思っています。

それができたら、
理想のパートナーを見つけます!








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