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ゴールから始める

 私のnoteでの名前は「みらっち」という。

 今さらだが。

 もともとは「みらい」という名前でnoteを始めた。

 感染症が流行し始めてから「あつまれどうぶつの森」というゲームをしていた。「あつ森」は、無人島に移住してそこでのんびり暮らすという、Nintendo Switchのゲームソフトだ。
 ステイホームの時期のど真ん中に発売され、人々のニーズにびたりとハマり、大流行した。

 私は、ちょうどそのころ観ていたアニメの登場人物の名前から「あつ森」のアバターに「みらい」と名付け、島の住民がアバターを「みらっち」と呼んだのがきっかけで、ブログのニックネームにした。

 実名とかけ離れた名前がよいと思っていたし、だいたい、名前にあまり意味を持たせたくなかった。
 正直、かなりテキトーにつけた。

 しかしここに来て、「みらっちさん」と呼ばれることが増え、リアルの知り合いも「みらっち」と読んでくれたりするようになって、気が付いたら「みらっち」が独り歩きを始めている気がする。

 考えてみると、みらっち、はともかく、みらい、というのはいい名前だ。
 「みらい」にはなんとなく希望を感じる。
 まだ未確定なものだから、夢や憧れを孕んでいるようなポジティブな語感がある。

 今さらながら適当に名前をつけたことを反省すると同時に、このまま「みらっち」で行くか否か、そろそろ自分のスタンスや方向性を見直すべき時なのかもしれない、と、考えている。

 10月からWEBを始めた。
 小説をそこに掲載し始めてから、次は書いたものを電子書籍にまとめたいと考えるようになった。

 変な感じだ。

 本になったらいいな、ではなく、本にする、と考えている時点で、「出版」が特別なことという感覚がない。

 昭和・平成のころは本を出すのは簡単なことではなかった。

 公募に応募する、出版社に持ち込む、自分が有名人になるなどして、誰か専門家や偉い人や有名な人に認められて初めて叶う願いだった。

 それでなければ、自費出版として結構なお金をかけて、親戚中に配ったりするのが定番だった。昔は、退職した人が自費出版で自分史を書くのが流行ったりしていた。

 令和の今は、Amazonという巨大企業が夢を叶えてくれる。

 販売価格は自分で決められるから、誰にも知られることなく電子の宇宙の塵になっても、強気な価格で1冊も売れなくても、在庫を抱えなくていいし、返品されることもない。
 にもかかわらず、Amazonのサイトの画面上では通常の出版物の隣に並んだりするのだ。

 自分の書いたものがいいのか悪いのかよくわからないけれど、今はそんなことが軽々とできてしまう時代なのは確か。

 昔から文章を書くのが好きで、いつもなにか書いていたから、とにかく書いたものをどこかで誰かに見てもらいたい、と思っていた。
 精霊流しとか、なにかの供養みたいな気持ちで、noteを始めた。

 たくさんの人に読んでもらって、いいねやスキやコメントまでもらえるようになり、正直、私の願いはすべて叶ってしまっている。

 最近、「この先」について聞かれることが増えた。

 こんなにたくさん書いたのだから、
 みらっちさんは、本を出すつもりなの?
 これからどんなことをしようと思ってるの?

 質問されて初めて、「みらい」という名前なのに未来になにも思い描いていないことに気づいた。

 先日の記事で、チェンソーが出てきたが、これは漫画『チェンソーマン』からの発想だ。

 夢や目標に関して、今の私の気持ちは、主人公デンジの1巻のときの気持ちとちょっとだけ似ている。

 1巻でデンジくんは、とんでもなく劣悪な境遇の中、飼っていた悪魔
(ポチタ)に夢を語ることでなんとか生き延びていた。

 夢といっても、彼の夢は、お腹いっぱい食べたり、温かい布団で寝たり、シャワーを浴びたり、異性と接触したい、というような、「健康で文化的な最低限度の生活」を望んでいるだけにすぎない。

 義務教育もうけていないし、友達もいない。悪い大人に、はした金で利用され、奴隷のように使役される毎日。
 用済みだからと残酷に殺害された果てに、チェンソーの悪魔・ポチタと合体することで「特殊な魔人チェンソーマン」となった彼は、マキマという悪魔退治を職業にしている女性に救われる。

 衣食住というおそらくは現代人が当たり前に持っているものを手にした時、彼は100%満足してもう望むことなんて何もない、と思う。

俺はもう夢にゴールしちまってるからなぁ

 この気持ち。

 そう。私の夢は叶ってしまった。それ以上のこと、ライターとして仕事をするとか、作家になるとか、本を出すとか、考えてみたこともなかった。自分なんかがそれ以上の事を考えるなんて烏滸おこがましいことだと思っていた。

 きっと心の奥では憧れていたのだと思う。
 でも、今はやりの言い方で言うなら、自己肯定感がとてつもなく低かったので、叶わない夢だとはなから諦めていた。そう決めつけていた。
 デンジくんみたいに。

 このまま、ずっとnoteに文章を書いていくことはできるかもしれない。
 それも悪くはない。

 ただひとつ言えることは、インターネットと出版業界の変化によって、昭和のあのころに夢見ても叶わなかった願いが、令和の今は叶えられるようになった、と言うこと。

 noteの世界には、そうやって自分の本を出版して夢を現実にしている先輩がたくさんいた。

 現在私には、自分のWEBサイトがあり、WEBや小説の感想をじかに聞きたくて、LINE公式も利用している。

 正直、まだまだ上手く機能しているとは言い難い。

 闇雲にやってみただけだから、目的もあやふやで安定もしていない。この先、同じ方法でやっていくかどうかもわからない。

 それでも挑戦したことで、始めたことで、自分に足りないものがあることや、努力すべきこと、自分がこだわっていること、譲れないものは何なのかが、わかってきた。

 書いたものを読んでもらうと言う夢がひとつのゴールなら、ゴールからまた始めてみればいいじゃないか、と思うに至った。

 今はちょうど、ワールドカップの季節。サッカーを観ていても、そんな気持ちがムクムクと湧いてくる。

 ひとつのゴールが、終わりじゃない。

 初心を忘れないために、と、最初のプロフィールを一度も変えていなかったが、このたび、この記事をプロフィールにすることにした。

 こちらが、最初の記事。

 この先、私に何ができるかわからないけれど、50を過ぎて未知数、と言う部分があるのも、なかなか悪くない。

 50歳をすぎたら完成した大人なんだろう、その先に夢を追う人生などあるものだろうかと思っていた思春期の自分にはとうてい信じがたい現実だが、これが事実だから人生は面白い。

 ゴールからのスタートは、ちょっとやってみるね、というあっさりした感じを大事にしようと思っている。 
 本当に自分の望むものをじっくりとみつめながら、でも肩の力を抜いて。リラックスして。

 WEBのタイトルは、「未来のみらっちのみらい」と言う。

 まあこれも直感でつけたのだが、実際、自分が願う限り未来の先にもみらいはある。

 今、いろんな媒体で、私の記事を読んでくださって、励ましてくださる皆様には、感謝の言葉をどう伝えたらいいかわからないほどだ。

 トライアンドエラーでこれから色々変わっていくかもしれないけれど。

 みらっち、ではなくなるかもしれないけど。
(といってもnoteではきっと「みらっち」だと思うけど)。

 今後とも温かく見守っていただけらと思う。

 いつもありがとうございます。
 これからも、どうぞよろしく。




























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