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【創作】オーガニックコットン 第1話

【あらすじ】
特別養護老人ホームに介護士として勤める柚子香は
同僚の外国人介護士に恋をする。
彼と関係を深めていく間に
様々な問題に気がついて......。
国籍を超えた恋愛経験を通し、
強くなっていこうとする女性の物語。


"You have a golden heart!"


英会話教師のジェームズは
額の皺を更に深くするように
グレーの目を大きくし、
両腕を広げて大袈裟に言った。


職業を告げたときの
周りの反応が私は好きじゃない。


「何て良い人なんだ!」


少し声を高くして言われた後に


「私には出来ない」


と続く。



「他人の下の世話なんて」って。




どうしてだろう。


下の世話なら看護師だって
毎日行なっていることなのに、


あっちのイメージは「白衣の天使」で
私たちは、どんよりと
暗いベールを全身に被ったような
特殊な人、とみなされるんだ。



「お年寄りが好きだから。
 好んでやっていることだから」



なんて返事しようものなら
更に「ココロのキレイな」
特異な人間扱いされてしまうから、
最近は曖昧に笑って
話を変えることにしている。



小さい頃から
両親より祖父母によくなついた。


祖父母の方が優しかった訳じゃない。


すぐに大きな声で
子どもには分からないことばを使いつつ
早口でけんかを始める祖父母のもとから、
それでも去らなかった。



私の存在に気づいて
どうにかやめないかな、って
思いは毎回打ち破られたけど、
ハラハラしながら
高齢の大人が顔を赤くして怒る様を
観察していた。



人間がよく出来ていたのは
両親の方だと思う。
優しくて、理不尽なことを
言わなかったから。



だけど私はいつも
同居の祖父母にべったりだった。


ただの好みの違い、
なんだと思う。



だから、
清い心で高齢者の介護を
ナリワイにしているんじゃない。


自分に合っているから。


頑固で偏屈なおじいさんとも
文句ばかり言うおばあさんとも
話をするのが楽しいから。



それだけなのに、
周りは私の立ち位置を
勝手に高みに追いやる。



高くも、「天使」のイメージとは
掛け離れた
マイナスの印象の強い場所に。



___________________



「いやぁよ。
 私、ソウくんが来ないと起きないから!」



明るい朝の光がさす
キラキラした部屋の中で、
そこの主は私の介助拒否をした。



「田島さん、またそんなこと言って。
 私、ソウくんと結婚するんだから
 譲ってあげませんよ」



茶化した声で言う私の顔を見て、
田島さんは目をぱちぱちさせた。



「あれ、アンタ!
 あんないい男、捕まえたの。
 こんな小さい乳で、
 いったいどうやって!」



そう言いながら両手を私に回して
介助しやすい姿勢になってくれる。



「へへ〜ん!」と
偉そうに笑った私の腰を
ペチンと皺だらけの手で叩いて、
彼女は更に悪態を突く。



「それにこんな細っこい腰で
 アンタ、子ども産めるの?
 あんな良い男の子どもなら
 たくさん産まないと」


「任せといて!私、頑張るから」


ガッツポーズをしてみせた私に
「心配だねぇ」と返した
96歳の田島さんとの
この同じやりとりを、
私たちはここ何日か繰り返している。



特養のイメージって
「普通の」人にはどうなんだろう。



暗いのかな。
臭いのかな。
近寄りたくないところかな。



私が働くこの特養は
窓が大きく設計されていて
天井も高いから、
空気が明るく輝いている。



悪臭対策には気を使っているし
ご入居者に
暗い印象は無いと思うんだけど。


いつも中にいるからそう思うのかな。



少なくとも私たちは、
笑って楽しく仕事をしている。



仕事だから嫌なことも
もちろんあるんだけどね。



私はこの
軽井沢にある教会のような設計の
たっぷり木材を使って出来たために、
いまだに木の香りさえする
大きくてピカピカの窓を持つ
特養が好きだ。




とある、暖かさが戻って来て
幸せを感じるような美しい春の日だった。



このくもりのない窓からさす光を
じゅうぶんに集めたホールで
ご入居者の水分補給をし終わった頃、
突然
「ドーン」と窓の方から
大きな音がした。



普段から気さくな
おばちゃんのパートさんが大声をあげて
騒いでいる中、


ソウくんが冷静に掃き出し窓の鍵を開けて
ベランダに出て行った。



「誰か、大きい段ボールを
 持って来てもらえますか」


私は急いでリネン庫から
空いた大容量おむつの段ボールを
持って来た。



パートさんは
興奮して仕事もせず
まだきゃあきゃあ騒いでいる。



窓の方に向かうと
ソウくんが大きな鳥を
ごく自然に、
何でもないことのように
優しく抱え上げていた。



枯れ草を集めたような
秋の色をした野鳥。


「ソウくん、それ、死んでるの?」


彼は優しい笑顔を私に向けて、
首をゆっくり横に振った。



「死んでいない。 気絶しているだけだよ。
 窓に気づかないで、ぶつかったみたいだ」


そう言って段ボールを私から受け取って、
枯草色の鳥を
宝物を扱うようにそっと中に入れた。



「風がまだ少し寒いから
 こうして中に入れてフタを開けておこう。
 ベランダにこの箱を出しておいたら
 しばらくすれば勝手に気づいて
 飛んでいくよ」


「ソウくんは、
 鳥の介護まで出来るの」


感心してそう言う私の顔を見て
眉を少し下げて、笑った。



「実家の近くに鳥がよくいたから」



ソウくんの癖のある黒い髪は
柔らかい春の光を受けて
ますます黒く輝いていた。


目に映る景色が、
かすかに頬に感じる風が、
あまりに優しくて
私は恋に堕ちてしまった。


___________________



職員用の出口に向かうと、
ソウくんが薄明かりの中
タイムカードを押していた。


「ソウくん、お疲れ様〜!」
「お疲れ様」


柔らかに微笑んでソウくんは
スニーカーを履く。
黒のエアマックスは
見た目にもだいぶ大きい。

ソウくんは肌になじんでいる
軽やかそうなシャツを着ていた。
私服だとまた素敵に見えて
目がチカチカする。


思わず触ってみたくなる
魅力的なシャツに見えるのは、
着ている人に特別な想いがあるからだろうか。


「それ、素敵なシャツだね。
 あまり見ない色で。
 若草色っていうのかな。
 若い草の色」

「よく分かったね。
 この色は草で染めたものだよ。
 僕の国で作ったシャツ。
 デザインは確か日本人だ。
 ユウキのメン、って言うのかな」

ソウくんは私が靴を履き替えるのを
待ってくれている。

「ユウキのメン?
 ……ああ、オーガニックコットン?」



ソウ君は少し考える顔をした後、

「Organic cotton!そう。
 カタカナ語はとても難しいね」

と言った。


「そうなの?」



「うん。外国人はカタカナ語が苦手な人が
 ほとんどじゃないかな。
 読むのも難しいし、
 日本語にしてもらったほうがよく分かる」


私の準備が出来たのを見届けて、
ソウくんは通用口のドアをギイッと開ける。


「Organic cottonは作るのが難しくて
 少なくとも10%は
 虫にやられてしまうみたいだ。

 その中で生き残ったcottonだけが
 商品になる」

「そうなんだ。
 手間がかかりそうだね」

しなやかな風合いのソウくんのシャツを
じっと見ながら言った。

外のかすかな風も通すような
自然と一体化したシャツ。


「そうだね。とても。
 その分いいものが出来るだろうね」



私たちは施設の敷地を出て
帰り道へと進んだ。

「今日は昼食がサンドイッチだったから、
 お腹がすいた」




ソウくんが少年のような笑顔を向けて言った。
心臓がうるさい。



「ソウくん、夜はいつも何を食べるの」




「ん、コンビニ弁当かお弁当屋の弁当。
 コンビニ弁当は量が少ないから
 それとカップラーメン」



「カップラーメン?身体に悪いよ」



顔をしかめた私に
何故だか嬉しそうに笑う。

空を見たら月がまんまるだった。
柔らかい光で輝いている
本当にウサギの国みたいな
可愛い満月。




「日本の女の人はそういうね。
 でも僕はいつも食べる」

「やだ、病気になっちゃうよ」



子どもの頃、叔父さんに
不審な発疹が出来たことを思い出した。


医者はそれで叔父さんに
カップラーメンを禁止した、って
お母さんが諭すように言ったんだ。



「僕は元気だから大丈夫。
 実家の方ではみんな朝も食べていたよ。
 それに、カップラーメンって
 作るのがなかなか難しいです。
 フタを開けて、お湯を入れて。
 very difficult」



笑えない冗談を言うソウくんが、
本気で心配になる。



一緒に施設を出ると、
ソウくんは口笛を吹きながら
私の歩幅に合わせて歩いてくれる。



「トロイメライ?」



再度、ことばの意味を探し出すように
私の言ったことを考えてから、
ソウくんは答えた。



「そう!Träumerei。
 ユズ、分かるの?
 日本人はあまりクラシックが
 好きじゃないと思っていたけど」



「トロイメライくらいは
 有名だから分かるよ。
 綺麗な曲だよね。本当に夢、みたいな」


「うん。僕は国のことを思い出すとき、
 いつも頭の中にこの曲が聴こえる」




しばらく私たちは
優しい月に照らされて無言で歩いた。
2人の頭の中には
しっとりとこの夢の曲が流れている。




子どもの頃に思いを馳せるときは、
いつだって
家で食べた料理を思い出す。




寒い日のあったかいお味噌汁の香り。

ゴボウやニンジン、豚肉などが泳ぐ中で
サトイモを一番に捕まえる。
トロリとしたそれをハフハフしながら
口に含んで、柔らかい噛み心地を
堪能するのが好きだった。




試験の日のお弁当は、
胃に重くて嫌なのに
決まってカツが入っていたから、
お母さんに文句を言ったけど
やめてくれなかったな。



お婆ちゃんの漬けたカブが好きだった。
カブそのものの味が感じられる
優しい味付けで、
いくらでも食べられる。


一緒に漬けたカブの茎と葉は
そのみじん切りをご飯にかけて食べると
絶品だっだ。
冷たいカブにあったかいご飯が合わさって、
両方がお互いの温度を少しずつ共有していく。




食べるものって
物理的な栄養、だけじゃなくて
思い出も一緒に口にしているから
心の栄養にもなる。



「ソウくん、簡単な料理でもたまには
 作った方がいいよ」



大通りで信号待ちをしているときに
私は切り出した。




「僕は料理は全然駄目だよ。
 料理をしたら
 疲れて仕事に行けなくなる」




やっぱり嬉しそうに
話すソウくんは、
青に変わった信号を見て
私と止まった車の距離を気にしながら
歩いてくれる。




「今日はスーパーのお弁当を
 見てみようかな。
 この時間だとまだ安くならないけど」




「ソウくん、それなら私が作ってあげるから
 食べに来たら」




穏やかに光を放つ月を見ていたら、
唐突にそんなことを言ってしまった。




ソウくんに驚いたような目で
凝視されて、自分が言ってしまったことに
気づく。



「あ、でも食べ終わったらすぐに
 帰ってね」



咄嗟に口にしたことばがまた
失礼だったかなと思って慌てる。
私はいつも考えより先に
ことばが口から滑り出てしまう。




「あ、これって失礼だよね。
 ごめん、えっと、
 ただ心配になったから」



変なこと言っちゃったかなと
ソウくんを見たら
眉を少し下げてまなざしを返した。



「ありがとう。
 じゃあ、お邪魔しようかな」


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第3話

第4話

第5話

第6話

第7話(最終話)


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