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即身仏を見てきた 【福島県石川郡浅川町】

夏の終わりの連休で、即身仏を見てきた。

とてもインパクトがあった体験なので、ここで紹介したいと思うんです。

……え、なんだって、即身仏を知らない?

それは勿体ないですよ!

即身仏を知れば、すべてがうまくいくのに。知らないあなたは、人生の半分くらい損してるといっても過言じゃない。

即身仏を知らずに、まだ現世で消耗してるの?


……衝動的に意味もなくイケハヤ師の生き霊(劣化ver)を憑依させてしまったようだが、それはそれとして。

最初に人に読んでもらったら「つかみ弱くない?」って言われたからキャッチーにしてみたけど、あまりキャッチーになってない気がする。……それにしても仮想通貨って、本当に儲かるのかな?  ←いまさら! 

さて即身仏というのは、つまりミイラである。

ミイラというと、ピラミッドで包帯グルグル巻きにされたエジプト王家のモンスターがまず思い浮かぶだろうけど、じつは日本にもいる。

日本のミイラ(木乃伊)は、王族ではなく、お坊さんがなる。それも自ら志願して、生きながらにして自らをミイラに加工するのだから、なんともすごい話だ。

徳の高い僧侶が衆生救済を願い、自ら進んで即身仏になるのだ。

そして即身仏となるには、まずは本人の覚悟、入念な準備、それに加えて、周囲の手厚いサポートも不可欠。寺や村を挙げた一大事業であったと思われる。

そして現在、日本全国には約24体もの即身仏が現存するという。

今回訪れたのは、貫秀寺。

ここには福島県で唯一の即身仏が鎮座している。

【アクセス】

・東北自動車道白川ICから、車で40分。
・JR水郡線磐城浅川駅から、車で10分。

たぶん駅からバスも出てるとは思うけど、車があった方がやはり便利だ。正直、ちょっと辺鄙なところではある。しかし苦労して訪ねる価値は充分にある、とても民話的なスポットだ。

【曹洞宗金久山 貫秀寺】

田園風景のなかにあるお寺。近くに駐車場があるので、そこに車を停めた。曹洞宗のお寺のようだ。

門前の立て札に由来が書いてある。このお寺の由来というより、ここに安置されている即身仏、宥貞さんの略歴が書かれている。

宥貞さんの人生に思いを馳せたり、門前でおばあさんと世間話をしていたところで、

ユラユラと自転車を漕いで、謎のおじいさんがやって来た!

自転車に乗ったまま先導してくれるおじいさんの後を追いかけ、お寺への道を歩く。私の早歩きと、おじいさんの自転車のスピードは大体同じくらいだった。

この貫秀寺は無人のお寺。お堂に安置された即身仏を観覧するためには鍵を開けてもらう必要がある。

役場に電話して観覧したい旨を伝えると、近所で鍵を管理している人の番号を教えられる。そこに電話すると、このおじいさん(留守の場合は別の近所の人)が来てくれる。なんとも牧歌的なシステムではないか。

さて、これが貫秀寺のお堂。このなかに宥貞さんの即身仏が鎮座している。

鍵を開けてくれるおじいさん。拝観料は大人300円。中高生200円で小学生は100円。しかし小学生で連れてこられたら、わりとビビると思う。まあそういうトラウマ情操教育って世の中に結構あるけど。

即身仏とご対面

いよいよお堂に足を踏み入れた。おじいさんが電灯のスイッチを入れてくれた。入ってすぐ正面に、即身仏となった宥貞さんが奉られている。

綺麗な袈裟を着て、仏壇のなかで座布団に座っている。これが生の即身仏。なんとも感慨深い。

宥貞さんのアップ。手を頬に当てるようなポーズで、ちょっと可愛らしく見える。

やっぱり完全にミイラではあるのだけど、なんだか優しい表情をしている気がするから不思議だ。

案内のおじいさんも「うん、なんか、可愛いって、そういう評判だ、うん」と、なんとなくうれしそうに頷いた。

別の即身仏を観覧したこともあるのだが、そちらと比べても、この佇まい、置かれている環境や雰囲気も、なんだか圧倒的にユルい。そもそも、ここまで気軽に写真撮影が可能というのが、ちょっとすごい。

こんなスポット、インスタ女子に知られたら、たちまちバズっちゃう! インフルエンサー的にも超穴場! ……かもしれない。

これは宥貞さんが即身成仏する際に入っていた、木棺。ガラスケースに展示してあった。300年以上前の現物が、いまこうして残っていることに驚いた。余程しっかりした造りなんだろう。日本の匠です。

石室。宥貞さんが入った木棺が、これに入っていた。つまり二重構造。マトリョーシカが連想された。正面には「薬師如来」と彫られている。

宥貞さんが信奉していた薬師如来像。これを石室の上に置いて、即身成仏が行われたのだ。

さて一般的な即身仏の作成過程では、石室を土中に埋めるのだが、宥貞さんの場合は土には埋めず、そのままお堂に安置していたらしい。それで上から重しをするように、この薬師如来の石仏を置いた。

……漬物石と桶のイメージがふと浮かんだけど、それはさすがに不謹慎かと思って打ち消した。

さて折角なので、ここで基本の即身仏のレシピ、製造方法をキュレーションしたいと思う。

即身仏のつくり方

・まずは準備段階。
木喰行と言われる厳しい食事制限が課せられる。その内容としては米、麦、粟、稗、豆を禁ずる五穀断ち、次には山荘、木の実だけを食する十穀断ちへ段階的に進めていくというもの。これは生きているうちから脂肪と肉を極限まで落とし、死んでも腐りにくい身体にするためである。
また場合によっては漆を大量に飲むこともあったらしい。漆はもちろん毒物なので、飲むと嘔吐する。それによって体内の水分を徹底的に抜くというのだから、凄まじい苦行だ。また漆の抗菌作用によって体内からの防腐処理という効果もあったらしい。

・以上のように、数年から場合によっては数十年かけて準備を進めた後、いよいよ本格的な作成段階に入る。
土を掘り、そこに石室を埋め、さらに木棺をその中に。木棺には即身仏となる僧が入る。そして上から蓋をして、土をかぶせる。その際には竹筒で空気穴を確保しておく。これを土中入定という。

・そして大詰め。
地下の暗闇のなか、僧は読経をして、鈴をチリンチリンと鳴らし続ける。やがて経を読む声と鈴の音が止む。それが亡くなったという合図。竹筒を取り去って、空気穴を塞いでしまう。

・最後の仕上げ。
三ヶ月程立った後、遺体を掘り出して陰干しする。それから袈裟を着せ、身なりを整えて、ついに完成。即身仏はしかるべき場所に安置され、人々はありがたくそれを拝む。

高温多湿な日本の気候、しかも内臓を取り除くなどの処理は行わない(あくまで仏様なので)という、ミイラ作成には不向きな条件下。それはもう大変な工程を経て出来上がるのが、即身仏である。

これは生半可な決意、覚悟でなれるものではない。戦乱や飢饉に苦しむ民衆を救うことを願い、自らを生きながら仏に変える、極限的な修行である。しかも最終的な仕上がりは、結構な部分で運任せだったんじゃないだろうか。いずれにせよ、徳の高い僧侶だけがなれたに違いない。

ところで、さっきも述べたように、宥貞さんはどこかやさしげな感じの雰囲気(やはり他の即身仏はホラー成分やミイラ的迫力が強い)であり、また土中入定しなかった点など、即身仏としても異色なところがある。

こうした独自性には、宥貞さんの歩んできた人生が表れている気がしてならない。

お寺の案内板とパンフレットを参照して、今度は宥貞さんの人生を紹介したいと思う。

宥貞さんの人生ダイジェスト

弘智法印 宥貞は天正19年(1592)、出雲国(島根県)松江村の藩士の長男として生まれた。
幼少より仏の教えに惹かれ、元服する頃には出家を願うまでに。しかし両親が反対したため、断食をして説得。あくまで自分の意思を貫く。

そして23歳、晴れて出家。
讃岐国(香川県)松尾寺の住職に「宥貞」の名を授かり、いよいよ本格的な仏門修行の身になる。出家から4年後に師匠が亡くなり、その遺言に従って諸国行脚の旅に出る。

陸奥国(山形県)を巡る途中、宥貞は湯殿山に立ち寄る。
湯殿山は衆生救済のため捨身成仏(つまり即身仏)のメッカ。ここでの経験が、宥貞の考えに強い影響を与えたものと考えられる。

その後は出羽から北陸を巡り、高野山にて真言密教を修学、小僧都の位を得る。やがて江戸へ向かい、そこでは住職を務める。しかし数年後、やはり片雲の風に誘われたか、またも出奔。磐城国(福島県)に辿り着き、ここでも幾つかの寺を渡り歩く。

そして終焉の地となったのが、小貫東永山観音寺。
当時この地で蔓延していた疫病を鎮めるため、宥貞さんは住職の座を弟子に引き継ぎ、92歳にして即身仏となることを決意したのであった。

……どうだろう、この遍歴の人生。

当時、92歳という年齢は平均寿命の2倍か、それ以上だったのではないだろうか。つまり宥貞さんは、常人の人生の倍以上を生きたことになる。そして日本中を歩いて周り、さまざまな寺で仏門修行、住職にもなり、最終的にはまさに仏となったわけである。

すごい人生だ。……いや、人生を超えてしまっている。

そりゃ、魅力的な即身仏にもなるだろうなと、彼の人生に思いをはせれば、納得しませんか。私はした。

いろんな場所を歩いて、いろんなものを見て、いろんなものを感じた、長く有意義な人生だったと思われる。

宥貞は入定するにあたり、病に苦しむ村人を集め、薬師如来の教えを説いた。それから斎戒沐浴(飲食や行動を慎み、からだを洗って心身のけがれを取ること)をすませ、以前から用意していた石棺、鈴を持って入った。最後に「三、七、二十一日後、入滅するであろう。音せずは、入定と心得、石蓋をせよ」と言い残した。

最後までしっかり自分の意思で、ついに即身仏となった宥貞さん。それ以来、300年余り。明治の火災で焼失した観音寺から、ここ貫秀寺に移され、いまでも地域の人たちに大切にされている。

2011年の震災で、この薬師堂も甚大な被害を受けた。しかし宥貞さんは無事。現在では、お堂もしっかりと修復がなされている。

天井の板に描かれている画も面白かった。頑張って真上にカメラを向け、写真を撮った。
「これは誰が描いたんですか?」とおじいさんに訊ねたら「うん、よく分からん」とざっくばらんに答えてくれた。でもきっと、このお堂と宥貞さんを大切に思う人が描いたのであろう。

いまも地元の人たちに愛される宥貞さんにお線香を上げ、お堂を後にした。

案内のおじいさん曰く、もっと知名度が上がって訪れる人がコンスタントにあれば、常駐の管理人を置けるのだという。だからドンドン宣伝してくれて構わないという。

そういうわけで、こんな記事を書いてみた。

「尊い即身仏をこんな軽い調子で紹介するなんて、罰当たりな奴め!」と怒りに震える情熱的ブッディストもしくはゴリゴリの修験者の方もいるかもしれないが、とにかくまずは現地に足を運び、宥貞さんと対面していただきたい。

不遜なこの記事だって許容してくれそうな、とても優しい、ゆったりとした雰囲気である。

それから次の即身仏にもすぐなれそうな案内のおじいさんも大変にいい風情で……と最後まで不遜なことを書いて、このリポートを終えようと思う。現場からは以上です。

今回も、とても面白い民話スポットでありました。

そういえば、お堂の横には「日本木乃伊保存会」という古い木札が掛かっていた。すごい会があったものだ。いまも運営されているのだろうか。一体どんなメンバーが、どんな活動を……。

『私と即身仏』

さて、いまから語るのは、極私的な即身仏の思い出だ。蛇足として読み飛ばしてくれても構わない。まあ暇つぶしにでも、軽い気持ちで読んで貰えたらありがたい。

じつは私にとって即身仏は、幼少期からとても身近な存在であった。

というのも祖父母の家に、それがあったからだ。

数百年前の先祖に、ある修験者がおり、彼は最終的に自らを即身仏とした。残された子孫は代々、それを秘仏として奉ってきたのだった。

私の一族は、ときの権力者の近くで栄華を極めた時代もあったという。ところが現代においては零落。たとえば祖父母の家は、公営団地の一室だった。

それでも秘仏は受け継がれてきた。部屋数も少ない団地、祖父が寝る部屋の押し入れに、ご先祖の即身仏はあった。

押し入れを占有して設えた、周囲の環境に不釣り合いに立派な仏壇。固く閉じられた観音開きの扉を開けると、まずは樟脳の匂いがムッと鼻をついた。

そして薄闇の奥にぼんやり浮かび上がってくる、木乃伊となった何代も前のご先祖様……。

「いいかい。ここを開けていいのは、三年に一度だけ。ちゃんと日が決まっているんだよ。もしそれを守らなければ……」

祖父たちから言い聞かされてきた決まりを、そのとき私は破ってしまった。幼心にわき上がる好奇心に勝てなかったのだ。

押し入れの奥、そのまた奥の仏壇の闇。それよりもなお深い、即身仏の眼窩の真っ暗闇。まるで吸い込まれるように、私はそこに魅入っていた。

「……く……は、ないのか……」

どこからか声が聞こえた。しかし耳で聞いている声じゃない。その異様な体感に、私はパニックを起こしそうになった。祖父母は出掛けており、幼い自分だけがそこにいた。

「……欲しくは、ないのか。……力が……」

今度は、はっきりと聞こえた。そして理解した。自分の頭のなかに直接語りかけている、この声は……。

「力を……再び、与えてやろう。……さあ、我が末裔よ。もっと、こっちへ来るがいい……」

目の前の木乃伊が、人の身でありながら永遠を手にしようとした遠い先祖の即身仏が、私に語りかけてきたのだ。

私と即身仏との関わりは、そこから始まった。

トラウマじみた運命に出会ってしまった私は、紆余曲折を経て、いまも全国を巡り、即身仏を求め歩いている。ちなみに記事の最初の方で「約24体が現存する」と書いたが、実際の所そんなものじゃない。隠匿された無数の生き仏が、あらゆる地域に残されているのだ……。

というわけで、この話は長編伝奇シリーズ『生き仏ハンター』に続きます。当アカウントにて、好評連載中です!

……はい、論破。

いや論破じゃない、ウソでした。

まったくの口から(キーボードから)出任せでありました。すいませんすいません。

実際に私が即身仏について知ったのは、小学校3年生くらい。

『日本のふしぎ』みたいなタイトルの、ドラえもん(F先生本人が描いたのではなかった)の学習漫画に出てきたのだ。

「ねえ、のび太君、こんなものがあるよ……」と不思議な、というよりは不気味な事柄を次々に紹介していくドラえもん。いつになくシリアスなリアクションをする、のび太。そして異様に詳細な解説。いまでもありありと思い出せる。

即身仏について、上記した「つくり方」なども、イラスト付きで懇切丁寧に説明されていたのだ。

この本を読んで以来、即身仏という存在が頭にこびりついて離れなくなってしまった。まさにトラウマ学習漫画である。

それから、さっきの『生き仏ハンター』は冗談だとしても、いま日本に残されている即身仏の数は現実にあやふやなのだ。そこにあるとされていても実存が怪しまれるもの、またはその逆。法律も変わって、いまだ土中に埋まっている即身仏を掘り出せないなど、複雑な事情も絡み合う。

とても謎めいて、どこかいかがわしくもある即身仏。そういうところがまた魅力だ。伝奇的なロマンに満ちあふれている。

……ところで、いま調べたところ、さきほどチラリと触れた「日本木乃伊保存会」について驚くべき情報を得た。現在はその行動理念を「保存」から「復活」に移項、なんと次世代の即身仏を作ろうとしているらしい。

そして、これは極秘事項なのだが、かのイケハヤ師がその対象に選ばれたというのだ。

かねてからネットという呪術空間において尊崇を集めてきたイケハヤ師。彼が東京から高知県へと移住した事情の裏には、これがあったのだ……。

彼は、その地で新たな即身仏になろうとしているらしい。

アップされた直後すぐ消されたという幻のブログ記事のスクショを、私はある筋を通して手に入れた。そこには、もともと痩せている彼がさらに行っている過酷なダイエット、ではなく木食行の様子が詳細に綴られていた。

そして結びの言葉は、こうであった。

まだ即身仏にならないの?

いつまで現世で消耗してるの?



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