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僕には「正論」などという言葉は使えない

 「それは正論だ」、「正論だがそれを盾に人を非難するのは良くない」など、「正論」という言葉を耳にする機会がそれなりにある。  僕はこの言葉を聞いたり見たりするたびに、よく「正論」なんて言葉を使えるな、と感心されられる。  「正論」とは、「道理にかなった主張」という意味だろうと思われる。僕には、何が道理にかなっているのか、などを次々と判断できるほど知識も経験もない。「正論」という言葉を日ごろ使っている人は、よほど優れた知能を持ち、聡明なのだろう、と思ってしまう。ものすごい自

    • 「x倍大きい」という表現に違和感を覚えるのは私だけ?

       単に「x倍だ」ではいけませんか?というより、そちらの方が簡潔でただしいのではありませんか?  日本語の誤用について、例えば「すべからく」という単語の本来の意味がよく話題になります。「すべからく」という日本語には「すべて」の意味はなく、この言葉は「当然すべきこととして」という意味を持つ、ということを言っている人を見ることがありますね。おそらく古文、漢文の授業で学んだはずの内容です。  こうした誤用についての議論の俎上に載せられているのを見たことがないので、私だけが違和感を

      • 効率の良い仕事をしたいのか、気持ちよくなれる仕事をしたいのか?

         どちらでも良いのですが、自分に嘘はつかない様にすると良いのではないかと思います。  日常的に、「効率の良い仕事」を求められます。「効率の良い」とはどのような状態を指すのでしょうか。  私の勤務する会社、部署では、ある業務に対して「これは誰がどれだけやって、どれくらいの価値を生み出したか」を定量的に判定することができていないように思います。むしろ、会社組織においてこういったものを定量的に捉えて評価する、などということができるのでしょうか。何人もの人が業務に関わり、いろいろ

        • 会社員の断酒は不可能では?

           私はアルコールが得意ではありません。なので、休日に一人で飲むことはありませんし、気の置けない友人と飲みに行く際は運転手を買って出ることが多いです。理解を示してくれる友人で良かったです。  アルコールを摂取すると、その瞬間はそこそこテンションも上がって楽しいのですが、少し時間が経てばしんどくなってきますし、何より翌日起きた時が非常にしんどい。身体的な苦しさに加えて、精神的にもしんどい。大抵、お酒の席には気の合わない人が一人はいますし、アルコールが入ると人が変わる方もいます。

        僕には「正論」などという言葉は使えない

        • 「x倍大きい」という表現に違和感を覚えるのは私だけ?

        • 効率の良い仕事をしたいのか、気持ちよくなれる仕事をしたいのか?

        • 会社員の断酒は不可能では?

          「現実論」と「理想論」があれば簡単にマウントポジションがとれる

           だから、マウントポジションをとると良い、というお話ではありません。  大抵の物事には、現実的な路線の考え方(現実論)と、あるべき姿、あると良い姿を考える方法(理想論)があります。例えば、プロ野球選手になりたければ、理想論で語れば、リトルリーグに入って、野球強豪校に入学し、常に野球のことだけを考えて練習したり、生活のすべてを野球に捧げることになると思いますが、現実的には、経済的な理由で不可能であったり、学生であれば学校があって、勉強もそれなりにしなければならなかったり、野球

          「現実論」と「理想論」があれば簡単にマウントポジションがとれる

          自分の「正しさ」を疑う

           そんなこと当たり前だろう、お前は何を言っているんだ、というような言葉を耳にすることがあります。そんなことを言う彼らにとって、彼らの持つ「正しさ」は、彼ら自身にとって疑われるべきものではないのでしょう。しかし、これはその正しくなさそうな相手も、自分自身も損をする考え方ではないでしょうか。  世の中に、疑う余地が全くない、誰にとっても当たり前の正しさは、どれほどあるでしょう。例えば「戦争は良くない」と言っても、兵器のメーカの人にしてみれば、明日のご飯が食べられるか食べられない

          自分の「正しさ」を疑う

          斜に構えている、と言いますが

           日常生活では、あまり自分の主義主張を言わないようにしています。当たり前と言えば当たり前ですね。政治と野球と宗教の話はするな、というのは、自分の主張が色濃く出てしまう話題で話をすると嫌がられるという教訓でしょう。確かに、政治の議論をする場所として設けられたところで、政治の話をするのは誰にも迷惑をかけているわけではないので良いのですが、会社の飲み会で急に政治の話をされても困りますね。政治の話だけでなく、仕事のやり方や人生観について一家言を持っている方は多く、持っているだけなら良

          斜に構えている、と言いますが

          なにものにも期待しない

           どういった人生をもって良い人生とするのかは、議論のあるところだと思います。私の思う良い人生とは、「幸福」-「不幸」の値がなるべく大きくなるような人生です。「幸福」や「不幸」は、特に厳密な定義をしているわけではありませんが、自分が幸福だと感じれば「幸福」の値は大きくなりますし、嫌だなあと感じれば「不幸」の値が大きくなります。非常に主観的ですが、人生観というのは客観的足りえないため仕方ありません。人様に押し付けるつもりもありません。「幸福」-「不幸」=「良い人生度」として話をし

          なにものにも期待しない

          コミュニケーションはリスクなのか?

           先日、会社で、最近の若い人はコミュニケーションが苦手なのでなかなか相談してくれない、だから後々になって問題が発生すると、偉い人が言っていました。最近の若い人とは誰を指すのでしょうか。それを若者に言ってどうするのでしょうか。  私はコミュニケーションが苦手です。仕事では、効率を求めるのだから正確に早く伝えようとするのですが、やはりそこは人間が相手ですから、ある程度効率を度外視したコミュニケーション方法をとらざるを得ないことが多々あります(入社するまで、若しくは入社してすぐの

          コミュニケーションはリスクなのか?

          言葉にしないと伝わらない

           言葉によって何ができるか。条件を設定し、より正確な情報とすることができる。   当たり前、と思われる方も多いでしょう。使い古された言葉ですし、確かにそうだろうと思う方も多いでしょう。しかし、実際にはどうでしょうか。言葉にすることを怠っていることはないでしょうか。その結果生まれた不利益に対して、腹を立ててしまうことはないでしょうか。  言葉にせず思ったことを伝えよう、だったり、言葉にしなくても伝わるだろう、だったり、こうした考えを持つには、どういった理由があるのでしょうか

          言葉にしないと伝わらない

          怒ることができない

           怒ることができない、というと言い過ぎたように思います。怒っていることを表現できない、というべきでしょうか。  その理由の一つは、自分は怒っているのだと表現することのメリットが分からない、ということ。怒りの感情を相手に示したとして、その相手とこれから良い関係を築くことの難易度は、そうでない場合に比べて高くなるように思います。ひとたび怒ってしまえば、相手は、私に対して、「この人は自分に対して怒る人なのだ、怒るポイントがどこか、見極めながら過ごしていかなければならない」、という

          怒ることができない

          10歳、20歳の自分に胸を張って生きられるか?

           20代の私は、今考えていることや感じたことを、これから先思い出せるように残しておきたいと思っています。日記帳に書いても良いのですが、それだとなんとなく味気ないのでnoteに書いています。  20代と言っても、私はもう学生ではなくなってしまいました。大学生の頃の方が、いろいろなことを考えていたように思います。それはひとえに時間があったからでしょう。  こうして20代のうちに考えたことを残しておきたいと思うようになったのは、入社してからのことです。  大学では、基本的には

          10歳、20歳の自分に胸を張って生きられるか?

          「自分のことのように」嬉しいと感じた

           自分のことのように嬉しい、という言葉はよく見聞きしますし、私も使ったことがある言葉ですが、なんとなく腑に落ちない言葉でした。腑に落ちない言葉というよりは、腑に落ちない感覚。腑に落ちない感覚というのも少し違っていますね。経験したことがないと言った方が近いように思います。  20年と少し生きてきた中で、よくわからなかった感覚ですが、これがその感覚なのかな、と思えるようなことがありました。折田翔吾さん、通称アゲアゲさんのプロ編入試験合格という出来事がありました。  僕は一人の

          「自分のことのように」嬉しいと感じた

          素直であるということ

           素直であるということは、論理的であるということにつながるのではないかな、とふと思いました。  自分の中にない考え方は採用しない、という態度の人に会うことがあります。彼らは、彼らなりの処世術やうまいやり方を知っており、またそれによってこれまで上手く物事を処理できたため、そのやり方は正しいと判断し、「うまくいくやり方」のレパートリーに追加します。そして、そのやり方は少しくらい異なる物事についても適用し、それなりに上手くいくポテンシャルを持っています。ポテンシャルがあるからこそ

          素直であるということ

          「そういう考え方もあるよね」

           「そういう考え方もあるよね」という考え方を持つことは、どのような状況であっても必要だと、私は考えています。    私はつい最近就職しました。四年間、京都の大学に通い、仕事というものを体験して感じたのは、大学という環境は良いものだった、ということ。  どのような考えに対しても、それはそれで一理ある、としてくれる人が多かったように思います。それは、大学の空気がそうさせたものかも知れないし、私が周囲の人間に恵まれただけかも知れません。当時は、なんとなくドライだと思うこともあ

          「そういう考え方もあるよね」