10歳、20歳の自分に胸を張って生きられるか?

 20代の私は、今考えていることや感じたことを、これから先思い出せるように残しておきたいと思っています。日記帳に書いても良いのですが、それだとなんとなく味気ないのでnoteに書いています。

 20代と言っても、私はもう学生ではなくなってしまいました。大学生の頃の方が、いろいろなことを考えていたように思います。それはひとえに時間があったからでしょう。

 こうして20代のうちに考えたことを残しておきたいと思うようになったのは、入社してからのことです。

 大学では、基本的には同年代の人と接することが多く、バイト先の社員や先生を除けば自分の年齢±5歳程度の人がほとんどでした。そもそもあまり良好な(?)人間関係を築くことが苦手だったので、絶対数は比較的少なかったとは思います。

 入社してからは、親よりも年上の人や、高校を出てすぐの人(これは大学でも同じですが)と、学生時代の比ではないほど接するようになりました。

 私は今の会社でしか働いたことがありませんし、また日本を出たこともないので、これが一般的であるというわけではありませんが、日本の会社組織では特に儒教道徳の考え方が意識せずとも浸透していること、また特に年功序列の傾向がみられること、これらは入社してから、それ以前に比較して感じられる機会が多くなりました。

 先輩をたてる、というと言い過ぎかも知れませんが、基本的には年齢が上の人物に対して、また職位が上の人物に対しては平身低頭、それが当たり前になっているようです。むしろ、そうしないと冷ややかな目で見られるため、賢くリスクヘッジをする若い人はそういった対応をして、自分の身をうまく守っているように思います。

 こうした状況を見て思うのは、自分より年齢が下だったり、職位が下だったりする人(所謂後輩)と接する機会が多くなってくると、後輩は平身低頭、基本的には先輩を肯定する表現をすることが多くなり、多くなりすぎて必要以上に自己肯定感を得てしまうのかな、ということです。自己肯定感とは、何気なく書きましたが、どういったものでしょうか。少なくとも、成長は現在の自分に対する、多かれ少なかれの否定から生まれるもののように思われますから、私にとっては成長を妨げるものでしょうか。適度な肯定感は良いものだと言われますが、適度というものが分かりません。

 もっと簡単に言えば、感覚がおかしくなってしまわないかな、と思うのです。私はそれが怖い。後輩からのおべっかに気付かず、自分はものすごい有能だと信じてしまう日が来るのではないか、知らず知らずのうちに、10歳、20歳の私にとって、関係を持つことが耐えられないような人になってしまうのではないか、とても怖い。

 会社という環境は、思いあがった人を作ることに適した(?)環境のように思います。なにせ、学校の部活動でも似たような構図がみられるのですから、それが長期にわたり、生活の大半を占めてしまう会社という環境はいわずもがな、ともいえるでしょう。

 こうした思いもあって、どこかに20代のうちに考えたことを残しておきたいな、と思った、というのが、noteを始めた一つの理由でもあります。

 今でも、ふとした時に、高校生の時の自分が、なりたくなかったであろう20代になってないか?と問い直すことがあります。そうはいっても、なってしまっている部分もありますので、高校生の自分には申し訳ない気持ちでいっぱいなのですが、こうしてふとした時に立ち止まって、自分に対して客観的になるということは、一生必要なことではないでしょうか。

 朱に染まれば赤くなる、のは仕方ない部分もありますが、常に「Be objective」の精神を忘れずに、10代、20代の自分に、胸を張って生きられるような生き方を、できずとも目指していく、難しいことですが、心掛けていくべきことだと思います。

Think, think, think.

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