素直であるということ

 素直であるということは、論理的であるということにつながるのではないかな、とふと思いました。

 自分の中にない考え方は採用しない、という態度の人に会うことがあります。彼らは、彼らなりの処世術やうまいやり方を知っており、またそれによってこれまで上手く物事を処理できたため、そのやり方は正しいと判断し、「うまくいくやり方」のレパートリーに追加します。そして、そのやり方は少しくらい異なる物事についても適用し、それなりに上手くいくポテンシャルを持っています。ポテンシャルがあるからこそ、最初の物事が上手く処理できた、とも言えるでしょう。ここで、彼らはこのやり方、考え方に拘泥してしまうことがあります。少しくらい異なっていても上手くいくため、さらに少しだけ異なるもの、そしてまたさらに異なるもの......というように、どんどん適用範囲を拡大していきます。行き着く先は、問題を、解決策に適合するよう解釈してしまう、という状態です。

 この状態に陥ってしまえば、他人の考え方は「うまくいくやり方」ではないので、そもそも聞く気がありません。それどころか、問題に対して方法を選択するのではなく、問題の解釈を変えて方法を無理やり適用するため、いずれかのタイミングでそのズレが無視できないほど大きくなります。

 ある意味では、迅速な対応ができる、推進力があるなどという言葉をもって、良い方向に評価されることがある能力だと思います。

 素直である、というのは、現状をありのまま捉える、ということです。

 ありのまま捉えるため、少しずつ異なる物事について、少しづつ異なる見方をしなければなりません。これは負担になるでしょう。先ほどまでの方法では、問題自体を変えてしまうため、このようなことは起きませんでした。わざわざ苦しい思いをする必要があるのでしょうか。

 しかし、問題に対して、素直な反応をしないことは、借金を残すことになります。なぜならば、問題の解釈を変えてしまえば、その問題に対して答えていない部分が残る可能性が大きくなるからです。

 私のつたない人生経験では、「自分は勉強が苦手だ」と言っている人は少なからず素直でない傾向があったように思います。前はこの方法で上手くいった、この問題にも当てはまるに「違いない」とする態度が、多く見られたように思います。

 素直な態度というのは、問題に対して正面を向いて考え、答えてあげようとする姿勢です。ここには、相手を受け入れようとする姿勢があります。「そういう考え方もあるよね」と同じように。

 素直に捉えようと思えば、自然と所謂論理的な態度をとることにつながるのではないでしょうか。「xを求めなさい」という問いがあれば「xについて」解くように取り組む。過去の知見はもちろん参考になりますが、それは絶対的なものではありません。また、問題に対して素直であろうとすれば、人の話を途中までしか聞いていないのに、早とちりに自分の解釈をひけらかすことはありません。「これは暗にこういうことを言っているに違いない」といった妄想を膨らませることもありません。

 素直に世界を捉え、反応する。これは、自分の中に新たな視点を作り、考え方の幅を広げることで、正攻法で物事に対応できるようになる方法だと思っています。

 こうして、文章にしてみるとうまく表現することは難しいなと再確認できます。自分の拙さを感じるとともに、誰かに伝わってくれるといいなとも感じています。

 Think, think, think.

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