「そういう考え方もあるよね」

 「そういう考え方もあるよね」という考え方を持つことは、どのような状況であっても必要だと、私は考えています。

 

 私はつい最近就職しました。四年間、京都の大学に通い、仕事というものを体験して感じたのは、大学という環境は良いものだった、ということ。

 どのような考えに対しても、それはそれで一理ある、としてくれる人が多かったように思います。それは、大学の空気がそうさせたものかも知れないし、私が周囲の人間に恵まれただけかも知れません。当時は、なんとなくドライだと思うこともありましたが、不快だとは思いませんでした。

 就職してからは、「これはこういうものだから」、とする人が私の周囲に増えたように感じました。それは仕事に関しても、それ以外に対する考え方についても。

 郷に入っては郷に従え、という先達の言葉があります。この考え方も嫌いではありません。就職とはそういうものだと、とりあえずはこの村のやり方に従うと決めました。こう考えると、まずは先輩には逆らわないことが一つ大切なことになります。彼らは、何も分からない私たちに対して、いろいろなことを教えてくれました。

 しかし、しばらくすると、私にも知識がつくので、先輩からの教えに納得できないことも出てきます。私は、「こういうやり方もあると思いますが、いかがですか」と尋ねてみました。先輩の答えは、「これはこうだから」、というものでした。「私のやり方は、どのように間違っているのですか」という問いに対しては、「間違っている」点についての言及はなく、もう決まっていることだから、とのことでした。管理職から、こういった言葉を聞くことが多いように感じます。

 これは、君の話に価値はないし、聞く気もないという意思表示でした。「そういう考え方はない」とされたとき、私は否定されていること、またその理由がわからないことに、悲しさを覚えました。どうやらこういったことは、日常茶飯事で、「社会」に属しているのであれば受け入れなければならないものとされているようです。

 こうした「そういう考え方はない」と否定する態度の良いところは、意思決定に要する時間が小さく済む、というところでしょう。確かに、所謂「会者組織」の中では迅速な意思決定は必要だと思います。「効率化」を図る、という昨今の風潮を受けて、こうしたスピードを求めたくなる気持ちもわからなくはありません。

 しかし、これを「効率化」だとするためには、膨大な知識が必要になります。なぜならば、その決定が正しくなければ、修正のために時間を要するし、またその時間は通常、事前に正しいことを確かめるための時間より大きくなるからです。

 「分からない」と感じた時、いったん立ち止まることが必要ではないでしょうか。立ち止まるためには、「そういう考え方もあるよね」が必要ではないでしょうか。

 また、「そういう考え方もあるよね」は、相手を受けとめ、自分の糧とするおまじないとして機能してくれるものと思います。昨今の「効率化」は、人間味を感じさせないドライさを売りにしているように感じられ、またそれを取り入れようとする人はドライにすることが効率化だと考えている節が、私には思われます。しかし、相手を受け入れる姿勢があることを示すことは、円滑な人間関係を助けるものであり、コミュニケーションを活発にし、仕事が早く進むようになる。これも効率化の一つの姿だと思います。

 とはいえ私も、「そういう考え方はない」と考えてしまっていることがあり、まだまだ至らないところがあるなと思う日々であります。しかし、どのような考え方にも、学べる部分はあるかも知れないし、そういった考え方をする人がいるということが分かり、また何故そう考えるに至ったかを考えることもまた自分の人生に資するものとなるのではないでしょうか。

 「まだまだ若いな」と、思われるだろうなと思いながら。駄文長文失礼しました。

 Think, think, think.

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