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「誰にも私の未来はわからない。私にさえも」ー映画『野球少女』

映画「野球少女」を観た。

女性の社会進出において「ガラスの天井」というたとえがよく使われる。
この物語はまさにその天井を突き破ろうと進む少女の話だ。
また、諦めないことの意味と力について考えさせられる作品でもあった。

私はと言えば、主人公チュ・スイン(イ・ジュヨン)にどっぷり感情移入してしまい、映画を見ながら涙が止まらなかった。


1. 誰であろうと私の未来はわからない

前例のないことに挑むのは勇気がいる。
人に理解されないだけでなく、ひどい時には笑われたり馬鹿にされたり、いじめられることさえある。スインの人生はまさにその連続だった。

子供の頃から野球を始め天才野球少女と謳われたスイン。
数々の賞を受賞した実績もある。しかし高校の野球部に所属する彼女は行き詰まっていた。男子ばかりの野球部の中で一際体が小さい彼女。
スインを天才野球少女と持ち上げながら、色物的に扱う世間にもうんざりしていた。

おまけにリトルリーグから高校野球部までずっと一緒だったイ・ジョンホがプロにスカウトされ、スインの心にモヤモヤが渦巻く。子供の頃のジョンホはスインよりも体が小さく野球も下手だった。しかし、いつしか身長を抜かれ、体力の差は目に見えるほど開いていった。

男と女の生物学的違いはスインにはどうにもしようがない。親や生まれてくる家を選べないのと一緒で、属性は自分の努力では変えられない。初めから配られたカードが違うのだ。


女というだけでトライアウトを受けることさえままならない現実に愕然としながらも、しかし、スインは諦めない。
「男だって難しいのに女が野球でプロになるなんて無理だ」と言う、親をはじめとする周囲の大人の反対にもめげず、決して自分の意思を曲げることはなかった。

しかし、大人たちの言い分もある意味真実。
なぜなら実際にプロ野球選手として成功を収めている女性は存在しないのだから。
そう考えれば、スインの周囲の大人、特に人生は思い通りにいかないことを経験として知っている彼らにとって、この助言は常識的とも言える。



一方で、常識は新しいものを生み出さない。
そもそもこの世の中は、勇気ある者が前例のないことを成し遂げ、道を作ることを繰り返して出来上がったものだ。血の滲む思いで作った道を、後進たちが整備し、広げ、誰もが歩くことができるように形を変えていく。そしていつしかその道は当然あるべきものとして認知され、ようやく常識となるのだ。

スインは道を作ろうと考えていた訳ではないだろう。
彼女はただただ、道なき道を進みたかった。

そんな彼女は大人たちの常識に押しつぶされることはない。
なぜなら彼女は知っているのだ。
自分がやめると決めるまでは、結論が出ていないということを。

わたしの未来は誰にもわからない わたしにさえも


高校では女子の野球部入部は無理と言われていたにも関わらず、それを果たしたスインだからこそ知る真実でもある。


ところで、未来は未知だ。
予測はできてもそれは予測でしかない。
当たり前だが、予測は過去から導き出された解だ。
まだ起き得ぬことを仮説として盛り込むこと多くはない。
つまり、未来は誰にもわからない。

また、女だから男だから、あるいはいい齢だからという理由で目標や夢を諦めるのは自分へのエクスキューズでしかないのだろう。
もし「これだ」という何かに出会い(たとえそれがイバラの道であろうとも)前に進むことができたなら、前に進んだ者だけがその先にある新しい景色を見ることができる。

諦めなければ終わりではないとはよく聞く言葉。
自分で「できない」と判断するまで勝負は決まっていないのだ。

結局のところ、決めるのは自分自身ということに他ならない


2. 「長所を生かす」とは何か

この物語ではスインに伴走するコーチが登場する。
それはプロを目指すも芽が出ず、いたずらに齢を重ねてしまったチェ・ジンテ。
人をコーチする才能に長けた彼は、無謀とも思える「プロ入り」を切望するスインに過去の自分を重ね冷たく当たる。が、やがて彼女の強い思いに寄り添うようになる。

そんなチェコーチが、プロのマラソン選手と高校生の短距離選手の短距離競争をたとえに、長所を伸ばすことの意味をスインに伝える場面がある。

それは、短所を克服するよりも、長所を伸ばし活用することで武器にするということ。

これがスインの突破口になる。
速球では男子に敵わないスインは子供の頃から武器にしていたそれを捨て、自分の長所を活かした投球方法に切り替えることを決意する。

このチェコーチの助言は他の事柄にも応用できる話だ。
苦手なことを克服しても良くて平均に届く程度。ならば、自分の強みを活かした方がいい。人生の時間が有限であることを考えれば、短所の克服に時間をかけるのは効率的ではない。一方で、長所を磨き上げることによって抜きん出る可能性が高まる。


さて、この物語ではもうひとつ、長所についてのエピソードがある。
それは、そもそもの属性を長所と捉える考え方。
物語の中で言えば、スインが女性野球チーム運営の仕事を提案される場面だ。男子ばかりの高校野球部では目立たない野球選手でも、女子の中では一級のスイン。場所を変えればあっという間にトップに立てる。

しかしスインはそれを拒否する。
彼女が目指すのはあくまでプロのチームに入ることなのだ。



人生の戦略として、競争相手が少ないところで勝負をすることは合理的な選択だ。第一人者になれる確率も格段に上がるだろう。それでもスインがこの合理的な選択をしなかったのは、彼女の中で自分との戦いにまだ勝負がついていないから。つまりは諦めていない。彼女の中に妥協という文字はない。

実際のところ、プロへの夢破れたチェコーチ、資格試験に合格できないスインの父のように、人生には目標を諦めざるおえない場面がある。夢が夢のまま、それに投じた時間が長ければ長いほど、人間の心は荒廃するし自信もなくなる。そしてそれは諦めの大きな要因ともなる。また、歳を経ると共に守らなければならない家族を抱え、自分の夢だけを追いかけていられない現実もある。

そして、多くの人は夢を諦め現実に目を向けて生きていく。
もちろんそれもひとつの生き方だし、これを否定するものではまったくない。私だって夢は夢としてしまい込み、合理的な選択をして生きてきた。

でもこの映画を観て「スインは若さゆえに、一途に、また諦めずに夢を追いかけることができた」と大人ぶって考えるのはやめようと思った。
今日が人生で一番若いわけで、あらゆる可能性が最大な「今」を諦めたら、成し遂げられることなんて何もないと思ったから。


3. 欲しいものを手に入れるための弛みない努力

「継続は力なり」
この言葉が好きだ。

小学校の頃皆勤賞をもらい、その時に贈られた色紙にこの言葉が書かれていた。当時、この言葉の意味は理解ができても重みは感じなかった。しかし、年齢を重ね「継続することが持つ力」について深く考えるようになった。
継続が力になるのはそれが簡単ではないからで、そしてそれは「諦めないこと」とも相関している。

劇中のスインは、日々弛みない努力を継続し、プロに入るという目標を達成しようと努力する。しかも彼女の行動を理解する者は少ないという悪条件の下でだ。


私は映画を観ながら考えた。
「彼女の情熱はどこからくるのだろう」
「自分はこんな情熱を持って何かに立ち向かったことがあっただろうか」と。

実は今、達成したい目標がある。
スインのように周囲に反対されることはないけれど、諸手を挙げて賛成されたり理解されたりもしない。つまりは他者にとっては関心のないようなことだ。
いずれにしても、対峙しなければならない相手がいるわけではないのだから、目標達成のための環境は悪くない。
戦う相手がいるとすれば、それは自分自身。そして足りないのは圧倒的な努力だ。


この映画を観て、スインに感情移入し涙が出たのは前述の通り。
それと同時に、弛みない努力の継続を、私も成し遂げたいと思った。
あらゆるエクスキューズを取り払って。


***


映画「野球少女」には韓国ドラマで知った俳優が数多く出演していた。

主役のイ・ジュヨンは「梨泰院クラス」での活躍が記憶に新しい。
とにかく彼女の演技がよかった。真っ直ぐで、情熱と不屈の精神を持つ少女を好演している。細い体から発せられる意思の強さと、スインが背負ってきたであろう苦しみがひしひしと伝わる演技だった。
出番は少ないが、同じく梨泰院クラスで見事な悪役を演じたユ・ジェミョンも出演している。

チェコーチは「秘密の森」シリーズで不正を働く検事を演じたイ・ジュニョク。
秘密の森では隙のないファッションに身を包み、ずる賢く風見鶏的な男を演じていた彼だが、この映画では無精髭が生えたヤサグレ男役。秘密の森のイメージが強すぎたせいでもあるが、その姿はとても新鮮で深みを感じた。

スインの母役には「トッケビ」「椿の花咲く頃」「悪霊狩猟団カウンターズ」など多くのドラマに出演しているヨム・ヘラン。意地悪な役から優しいおばさんまで演技の幅が広く、好きな女優の一人だ。今回はややヒステリックな母親役だけど、彼女の演技はいつも主役をうまく引き立てる。

そして、スインの同級生を演じたのはクァク・ドンヨン。どこかで観たことがあると思ったら最近Netflixで配信され始めた「ヴィンチェンツォ」に出演していて、その発見がちょっと嬉しかったり。


何はともあれ、劇場に足を運んでよかったと心から思える作品だった。

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