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8月31日の夜にこれまでの自らの作品を振り返る。

「〇〇さん他2名があなたの記事をスキしました」

僕がいつも朝起きて1番にしてしまうことといえば前日に投稿した記事に対して世間様からどれぐらいの反応が得られているのかを確認することである。
特に今月は、前月までと比べてかなりのハートを
色んな方々からいただくことが出来た。
もしかするとそれは偶然なのかもしれないが、
今月に入ってからの自分は今まで以上に自らの投稿に力を入れていたので、その気持ちに伴った結果が得られたかのような気がして、それが仮に偶然のことだとしても嬉しく感じられる。

5日ほど前のことだ。
僕はその日早朝でもなんでもない時間帯にいつも通りこのアプリを開いた。すると、

「〇〇さんがあなたの記事にスキしました」

数時間前には無かった通知が一件新たに届いていた。
しかし、
前日分の記事のハート数は増えていない。

「どの記事にハートをもらったのかな?」と
僕はその通知に記載されていた該当記事を確認してみることにした。
するとイイネをもらったその記事は自分が約半年前、ちょうど毎日投稿始めたての頃に投稿していたものだった。

内容は、その日に読み進めていた渋沢栄一さんの『論語と算盤』の読書感想文。
ちなみに読んでいたそれは現代語訳がなされていないものだった為、読み進めるのにかなり苦労していたという記憶がある。
そのブログには、しかし苦労しながらも読み進めていると著者の表現の癖みたいなものが徐々に掴めてきて大まかな全体像や意味を理解することが出来た、などといった何とも抽象的で読み応えのない言葉たちが並んでいた。
おまけに内容が抽象的すぎて当時の感覚や本の内容などは自分でもよく覚えていない。

そのことに気付くと僕は少しだけショックな気持ちになった。
自分なりに充実していただけで当時はあれだけ力強く自身満々に綴っていたのか、これだけ抽象的で無味無色な文章を書いてしまっているというのに、と。

ここ最近においても少なからず自分の記事には
具体的な内容が不足しているということを実感していたので余計にそれは心に響いてきた。

もう今はただひたすら毎日投稿を継続する、という段階ではないはず。
抽象的な表現を沢山重ねたところで何も読み応えは得られない。
これではただひたすらに自己満足を得ようとしているだけではないか。

まだまだ数え切れない程の工夫が必要だ。
まずは、具体的な内容を積極的に用いながら
自分の毎日綴る文章に出来る限り"彩り"を持たせてみよう。
どう考えたってこのままのクオリティでは話にならない。

さて、明日からまた新たな月が始まる。
自分の好奇心にブレーキをかけることなく楽しく、そして力強く、前を向いて歩いていこう。

#8月31日の夜に

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