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    小説家石田千さんと画家牧野伊三夫さんの往復書簡

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第229回

牧野伊三夫 →  石田千さんへ  寝ころんで、ネナ・ベネッサノウを聴いている。もうずっと。  あの日、車にガソリンと水、それにフランスパンとイワシの缶詰めなどの食料を積んで、トゥリアラからフォールドーファンへ向かっていた。僕は画材を入れたカバンにマルティニックのラムをしのばせて、堀内君と後部座席に身を沈めていたが、その飲料用のペットボトルに入れたガソリンが燃えるのではないかと案じていた。  彼らは、森のなかで迷ったが、地図はおろか、磁石も星座も頼りにせずに、ベヘルカの浜ま

    • 第228回往復書簡 昼顔、9時20分

      石田千 →  牧野伊三夫さんへ  遠出の仕事は、週に3日。2か月すぎて、車窓にながれる木々のみどりも、勢いを増している。手入れのされている林とそうでないところのちがいも、わかってくる。  行きも帰りも座席にすわれるようになったので、眠っていることも増えた。眠りこけ、ふと目がさめる駅は、たいていおんなじところ。うたたねにもリズムがあるみたい。  きのうも、ねぼけた目で、あとひと駅。電車が動くと、フェンスいっぱいに、昼顔のつるがからまっている。9時すぎで、もうずいぶん咲いていた

      • 第227回往復書簡

        牧野伊三夫 →  石田千さんへ  十一月に盛岡の公会堂で、はるか君と即興制作をやることになって、その準備をはじめた。  音楽家との公開即興制作は何年ぶりだろう。もう十年近くやっていない気がする。  ピアノの三浦陽子、ギターの青木隼人、サックスの坂田明、パリのコントラバスのジャンボㇽデなど、三十代のおわりからやるようになったが、音楽の力でヨーロッパの伝統的な絵画の法則から解放されていくのが、面白くてしかたなかった。しかし、やがて、短時間に次々と展開していく音楽の時間に束縛され

        • 第226回往復書簡 音読、19時

          石田千 →  牧野伊三夫さんへ  夕食は、パン。冷凍してあるので、焼きあがりまで、16分かかる。  アルミホイルでくるんであるのを、焼き網にのせて、表裏4分ずつ。ホイルをはがして、おなじように4分ずつ。4分ごとに、キッチンタイマーに呼ばれている。  焼きあがるまでは、おつまみタイム。みぎ手にはちいさな匙、ミックスナッツをすくって、ぽりぽり。左手は文庫本をもって、毎日16分のみじかい読書。声をだして読む。  3月、4月は、三四郎を読んでいた。なんども読んで、そのたびに、いいな

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          第225回往復書簡 初夏の風

          牧野伊三夫 →  石田千さんへ  博多の「メゾンはこしま」での個展のはじまりの会を終えて、十日ぶりに戻った。家をながくあけて帰ると、窓を全部開けて風を入れ、台所や風呂場の水道の蛇口も開いて水を流しっぱなしにする。それから掃除機をかけ、神棚に手を合わせ、一段落すると、ビールが飲みたくなる。それがわかっているから、出がけに冷蔵庫で冷やしておくのだ。よく冷えたのを抜いて、一気に飲む。そうすると家も体も、なにかすっきりとした気分になる。  先週から盛岡の「ひめくり」で毎年恒例のTシ

          第225回往復書簡 初夏の風

          第224回往復書簡 いちご、19時

          石田千 →  牧野伊三夫さんへ  連休のあいだの平日、帰省をしてきました。 羽田空港では、いつもバスターミナルから、飛行機へと移動しますが、今回は、バスに乗って、あたらしいバスターミナルに移動して、またバスに乗って飛行機へ。なんだか空港のバスツアーのようで、おもしろかった。  日本一のバスターミナルは、なんといっても、日田の駅前。毎回、おみやげ、おむすび、菓子パンを買ったりできる。なにより、寶屋のおかみさんが、わざわざ見送りにきてくださる。毎回、かならず、きてくださる。日本

          第224回往復書簡 いちご、19時

          第223回往復書簡 クモの糸、葉っぱのくるくる劇場

          牧野伊三夫 →   石田千さんへ  玉川上水の雑木の春、桜にの花びらに混ざって、クヌギやコナラの花が雪のように降ってきて、ラクダの毛布のように地面につもっていく。  朝の散歩のとき、空中で小さな葉が風にゆられてくるくる回っているのをしばらく見ていると、隣で一緒に見ていた息子が「クモの糸、くるくる劇場」と言う。いいこというな、と感心する。  来週から博多の「メゾンはこしま」で個展だ。搬入が近くなると、なぜか甘い菓子が食べたくなる。今朝はアトリエで、バナナにハチミツとマーマレー

          第223回往復書簡 クモの糸、葉っぱのくるくる劇場

          第222回往復書簡 さくら、8時14分

          石田千 →  牧野伊三夫さんへ  あたらしい時間割での生活。週に3日、2時半に起きます。  掃除、洗たく。家に帰ったら、お風呂にはいって寝るだけにして、かんたんな朝食をすませて、7時半に家を出ます。  いくつも電車を乗りついで、最寄りの駅につくのは、9時半ごろ。第1週は、長い道中、ずっとお花見をしていました。  お寺さん、小学校、公園。団地には、並木。畑には、大木がいっぽん。 そうして、つぎのつぎ。駅をたしかめると、ホームに若い、細い桜がありました。  どんなに頼りない若い

          第222回往復書簡 さくら、8時14分

          第221回往復書簡 「牛窓のうた」、お祝いの会

          牧野伊三夫 →  石田千さんへ  ハルカ君とつくった歌を牛窓中学校の生徒たちが卒業式に歌った映像が公開される。あの生徒たちの合唱が、とうとう飛び立っていったのだ。もう何度繰り返しみたことか。  https://youtu.be/s5DgfGfQ_P8?si=laeXamEO6A8Hi5Zt  一昨日は、中野の桃園会館で、『四月と十月』の創刊25周年を祝う会を行った。梅家の仕出しの弁当を用意し、墨書きした横断幕を紅白の飾り花で囲った同人たちとの手作りの会。舞台では、加藤休ミ

          第221回往復書簡 「牛窓のうた」、お祝いの会

          第220回往復書簡 くるみ、10時と3時

          石田千 →  牧野伊三夫さんへ  牧野さん、よい歌をきかせてくださって、ありがとうございました。  視線のひとつひとつ、ゆったり描かれていて、訪ねたことのない土地に、いま立っているみたい。そうして、牛窓に暮らす若いひとたちの、ぼそぼそとした声、なんでもない会話もきこえました。  ハルカナカムラさん、すてきですね。  帰省からもどって、だんだん、せわしなくなってきています。  実家にむかう飛行機が、視界不良で着陸できず、羽田にもどってしまいました。午後からは天候回復の見込みと

          第220回往復書簡 くるみ、10時と3時

          第219回往復書簡 自画像

          牧野伊三夫 →  石田千さんへ  絵描き仲間たちと年に二回、四月と十月に発行している美術同人誌が、この春、刊行二十五周年の節目を迎えた。僕はこの本を創刊して、編集発行人をつとめてきた。一時期、千さんも同人だったことがある。これまでずっと掲載する絵も文章も自由なテーマだったが、節目の号というので、創刊以来はじめて、絵の方は「自画像」、文章の方は「私の絵が生まれるとき」というテーマを設けた。なぜ自画像をテーマとしたかというと、先行き不透明な時代に、ここで一度みんなで自分をみつめ

          第219回往復書簡 自画像

          第218回往復書簡 帰省、2時半

          石田千 →  牧野伊三夫さんへ  牧野さん、上野さん、みなさま、おはようございます。  今朝から、1週間帰省してきます。  いま、夜中の2時半。7時半に出るのに、いろいろ手間取るので、こんなに早起きです。  吹雪の予報が、心配です。  いってきます。   店さきに白梅生けし神保町   金町   (3月29日金曜日)

          第218回往復書簡 帰省、2時半

          第217回往復書簡 「牛窓のうた」

          牧野伊三夫 →  石田千さんへ  昨年の春、音楽家のハルカナカムラ君に牛窓中学校の卒業式でうたう歌の作詞を依頼されて同校の校長室を訪ねたとき、校長先生から、なぜ画家がここにいるのか、と質問された。それはそうだろう。歌を作るのに、画家はいらない。同席していたディレクターの鈴木孝尚君が作詞をしてもらうのだと説明したが、それでも校長先生は首をかしげていた。僕は作詞などしたことがない。それどころか、依頼されたのは前日、宿で一緒に酒を飲んでいたときだった。そもそも僕は絵を描くつもりで

          第217回往復書簡 「牛窓のうた」

          第216回往復書簡 鉢植え、7時40分

          石田千 →  牧野伊三夫さんへ  あたたかい朝。カーテンをあけて、すぐ目が届いた。オリーブの植木鉢のうえに、ちいさな草の芽を、たくさん見とめた。  きのう水やりをしたときは、ひとつもなかった。土のまんまだった。ひと晩のうちに、ちいさな地面の三割ほどがみどりになった。いのちの速度は、手品のようだった。  毎年のびるものなら、クローバー。クローバーは、抜くと種がこぼれて、かえって増えるときいて、抜かずに枯れるのを待つようにした。ことしの勢いは、どうかなあ、オリーブに水が届かなく

          第216回往復書簡 鉢植え、7時40分

          第215回 マフラーひとつ

          牧野伊三夫 →  石田千さんへ  盛岡の「ひめくり」で気に入ったマフラーを見つける。買おうとすると、店主の美帆さんが値段をよく見てからにしろと言う。たしかに高かった。が、愛は盲目。今日、僕はこれを巻いて雪のなかで絵を描きにいく。あたたかいよ。   (2月26日 月曜日)

          第215回 マフラーひとつ

          第214回往復書簡 電話、16時半

          石田千 →  牧野伊三夫さんへ  携帯電話、こわれてしまった。あした、スマホ買ってくる。  きのうの夕方、こころぼそい声をきいた。朝いちばんに、予約をしたという。  母の持っていたのは、もともと父のものだった。父が亡くなって、名義を変更してつかっていた。古い機種だから、修理の期間はきれていた。  母は、よほどのことがないかぎり、電話をかけてこない。  ひとりっ子だったから、そんなにひとと会ったり、おしゃべりしないでもへいき。週にいちどは、洋裁教室もあるし。そんなふうだった。

          第214回往復書簡 電話、16時半