悪口は信頼。
あなたは人の悪口を言ったことがあるだろうか?というあまりにも無意味な問いをここではしない。
悪口を言ったことがない人なんていないだろう。
直接言ったことがなくとも、誰かの悪口に同調することもまた悪口である、ということを忘れてはいけない。
あなたも悪口を1度は言ったことがある人間として、
数多くの悪口を吐き出してきた私が書くこのnoteを安心して読んでほしい。
友人関係において、いわゆる「友情」と呼ばれる人間関係?感情?において、
"悪口"は重要である。
悪口を言っても許容される関係。聞き流してもらえる関係。
これは多くの安心感と信頼関係につながるだろう。
これは皮肉なことかもしれない。
なぜなら、悪口は言わない方が良いとされているものだからだ。
言葉で無意味に誰かを傷つける必要はない、とか。陰口を言うなら本人の前で堂々と言えよ、とか。
いろいろな意見があると思うが、誰かが悪口を言うのを(第三者として)聞いていて、良い気持ちになるということは少ないかもしれない。
しかし、悪口は確実に信頼関係につながっている。
AさんとBさんは仲の良い友達だとしよう。
Aさん:「クラスメイトCの〜〜なところ、うざくない?昨日〜〜な態度を取られて、まじ腹立ったんだけど!」(例としてはあまりにも幼稚な悪口かもしれないが)
Bさんも仮にクラスメイトCに対してなんらかの嫌悪感を抱いていた場合、これに共感するのは容易である。
Cに対して特に負の感情を抱いていなかったとしても、Aの発言に適当に同意することはできるし、適当な反応をしつつ別の話題にスッと変えることも可能である。
……色々と書いたが、言いたいのはここまで単純な話ではない。
もっと心の深くにある「相手との距離感を縮めたい、と言う感情」「(友達に対する)ある種の独占欲」の話がしたいのだ。
Bさんはこうも感じる可能性がある。
悪口を言っても許してもらえる関係。誰かの悪口を言える関係。
それはある意味近しい友達とだから築き上げられる関係なのかもしれない。
「この子は私のことを裏切らない」という信頼。
そしてそれは、「私がこの子(友達)に誰かの悪口を言ったとしても、この子はそれを誰かにチクったりしない。私が悪口を言っていたことをどこか(別の人との間)で非難しない。」
という信頼なのかもしれない。
もちろんこれが良い信頼と呼べるかどうか?そう感じるかどうか?は人それぞれかもしれない。
だが、悪口は人との信頼関係を深める、という可能性は十分にあるのではないだろうか。
自分が考えていることをどの程度さらけ出せるか?を考えた時に、
「誰か(第三者)の噂話をできるか」「誰か(第三者)に対して思っている感情が決して良いものではなくとも、それを口にできるか」
は、1つのハードルになるのではないか.…と、考えている。