無関心は、優しさ?
「どうでもいい」という言葉は便利である。
その一言で全てを片付けてしまえるから。
つまりその一言だけで相手を突き放してるってことなのかもしれない。
会話の中で「どうでもいい」なんて相手に言われたら、良い気持ちがしないことが多いのではないだろうか。
自分が何か話題をふったとして、それを「どうでもいい」の一言で片付けられてしまったら、人間関係が一瞬で終わってしまう気さえする。
もちろんこの「どうでもいい」は仲の良い友達同士で言う、例えば「〇〇ちゃん彼氏できたらしいよ〜」に対して、「何そのどうでもいい話、笑笑」のようなものとは違う。軽いノリで言っているものとは違う。
こんなことを思っていた私に対して、ある友達がこう言った。
「どうでもいい、はある意味わたしにとっては優しさなの。」
彼女は「相手のことがどうでもいい」からこそ、相手に優しさを与えることができる、らしいのだ。
あるいは「この程度のこと、どうだっていいや」と思って、何か頼まれれば相手の言うことを聞き入れてしまうそうだ。
これは、優しさなのだろうか。
人はこれを、「無責任の優しさ」なんて呼ぶのかもしれない。
でもその気持ちがわかる部分もある。下の動画の中でも言ってるけど、(動画の名前はふざけてるけど中身は真面目な話をしてる部分もあるよ)
心を痛めないように、自分が傷つかないようにするためには、「どうでもいい」と思うしかなかったのかもしれない。
自分を傷つけないために、相手に対して無関心になっていくのかもしれない。
自分を守るために、相手に期待をしないのかもしれない。
どうでもいいと思うことで、相手とある程度の距離をとっておきたいのかもしれない。
その気持ちは、わからないでもない。
わたしはめちゃくちゃ人の心に踏み込む。だからある意味良き相談相手と思われてる部分もあるのかもしれないけど、逆に言えば踏み込むだけ踏み込んで自分の心には踏み込ませない、これが自分のような気がする。
踏み込まれることが怖いのか、踏み込まれたのに裏切られるという事が嫌なのかよくわからないけれど、誰かに踏み込んでほしいとあまり思わない。
たとえそれがどんなに親しい人でもね。
親とか先生とか友達に、「今」思ってる悩みや不安を相談することはある。
でもそれは誰かに相談することによって答えが欲しいというよりは、話を聞いてもらいたいだけだ。
もっと過去の人生とか恋愛とか、深い話をしたいとなかなか思えない。
自分から相手に「見えない壁」をつくってしまっているのかもしれない。
最近自分の優しさは、無関心からきているのではないかとさえ思う。
いつも自分語りをしすぎてしまうけど、やっぱりこれは見てる人の多くが実際に知り合うことのない人、だからなんだろうなぁ。
要は自分が、傷つきたくないだけだった。