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『四畳半神話大系』 written by 森見登美彦

人生の中で「選択」というものをしなければならない場面は何度もある。
「選択」は人生の分岐点であり、その選択が正しいか間違っていたかに関わらず、「選択」した先にある人生というのは、全く異なっているだろう。

「選択」をしたらもう、他の者にはなれないのだ。
その人は、「その選択をした」者になったのだ。
何者かでいようと思ったら、他の何者にはなれないのか。



この本の主人公の大学生男子は、いくつもの選択が許されている。
大学生になって、映画サークル「みそぎ」に入り、映画を製作するという選択。
「弟子求ム」という奇想天外なビラを見つけ、師匠の弟子になるという選択。
ソフトボールサークル「ほんわか」に入り、ある種の宗教的何かを感じるという選択。
秘密機関〈福猫飯店〉に入り、〈図書館警察舞台〉に入るという選択。

それぞれの選択をした主人公がその先どんな大学生活を送ったのかが描かれているのだ。


どの選択をしても、主人公は
小津という "成績は恐るべき低空飛行であり、夜道で出会えば妖怪と間違えられるような不気味な風貌であり、弱者に鞭打ち、強者にへつらい、わがままであり、傲慢であり、怠惰であり、天の邪鬼であり、勉強をせず、埃のかけらもなく、他人の不幸をおかずにして飯が三杯食え、およそ褒めるべきところが一つもない"、そんな人間から「愛」をもらうのである。
「そんな汚いもん、いらんわい」と言いながら。

(7,8,70ページより)


大学生活の中でかなり多く小津のような人間と関わり、日々関わって過ごすことは一見不幸のように思えたりする。
だがしかし、この本の主人公は一味違う。

森見登美彦氏の独特で軽快なテンポで書かれた文章は、日常の中の なんとも言えない、一種の不気味さと愚かさを兼ね備えた「おもしろさ」を届けてくれるのだ。
だから不思議と主人公の不幸に笑みがこぼれてしまうときがある。
これは主人公の不幸を嘲笑っているというわけでは決してなく、自分のことを「高潔」で「紳士」で「純粋」と考える主人公が、「他人の不幸をおかずにして飯を三杯食う」小津の色に染まり、なんだかんだで小津という男に振り回されているのがおもしろいのである。「魂が汚れた」などと言いながら。

どの「選択」をしても主人公は、最終的に思い描いていた「薔薇色のキャンパスライフ」を手にすることができたわけではないが、どの「選択」をしても明石さんという女性との恋が成就するのである。その部分を「語るに値しない」としているのもまた、おもしろい。
小津と出会ったことは「人生の汚点」としているのにも関わらず、ね。



単行本の274ページを読むと、この本の結末が分かる。
結末がわからない程度に、「選択」について引用しておく。

274ページより

日々私は無数の決断を繰り返すのだから無数の異なる運命が生まれることになるだろう。したがって、この四畳半世界に、原理的に果てはないのだと。



「自己は他者によって規定される」、「自分というものは他者によって構築される」などということを聞いたことがあるが、その言葉を借りるならば、
「主人公の存在は小津によって規定されている」
と言っても過言ではないだろう。



(6ページより)

さあ、ページを開いて。
"異性からの孤立、学問の放棄、肉体の衰弱化などの 打たんでも良い布石を狙い澄まして打ちまくってきた"
主人公の大学生活を、
四畳半の冒険を、
少しだけ、覗いてみようではないか。