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好きなことを忘れてしまうのが怖い


先日、久しぶりに好きなことについて人と喋った。

それは職場での後輩との会話。
なんだか忘れたけど、ふとしたときに純文学の話になった。

「太宰治の生家、行ったことあるー?」
「行きました!津軽鉄道からの景色もいいですよね〜」
など、ひとしきり太宰治の話で盛り上がり


「でも純文学なら川端康成が一番好きなんだ〜」と話すと
「いいですね、雪国の冒頭が好きです。」などとさらに川端康成の話で盛り上がる。


そこに近くにいた先輩が
「川端康成はいまいちわからないんだよなー、
なんか文体にクセがありすぎて」と入ってきて
「いや、そこがたまらないんじゃないですか!
あの気持ち悪さが最高です。」とまた盛り上がる。


ほんの10分にも満たない会話。
だけど好きなことについて喋るのはやっぱり楽しくて『あれ?久しぶりにこんなに好きなことについて喋ったなあ。』と思った。


同時にこの会話で、そういえばわたしって川端康成好きなんだよな…ということを思い出した。


『思い出す』なんておかしな話だと思う、好きなことなのに。
だけど好きなことを忘れてしまうくらい、遠ざかっていたのだ。



わたしは読書と旅行が何よりも好きだけど
最近はまったく本も読めていないし、しばらく旅行にも行ってない。

『好きなこと』はいまでも好きなはずなのに
あまりに遠ざかりすぎて『昔よく読んでたなあ』『昔はよく行ってたなあ』という思い出になりつつある。



日常に追われすぎていて、自分の好きなものからすっかり遠ざかり、もう好きなことすら忘れかけてる。

それって『好きなこと』ではなく『好きだったこと』になってしまうのかな。
まだこんなに好きなのに?
あんなに好きだったのに?
そう考えるとたまらなく怖く、悲しい気持ちになった。




一人暮らししていた数年前、趣味や好きなことはわたしにとって生きる意味だった。


美しい文体、おもしろい本、見たことのない景色…
そういったものに心を動かされると、
大袈裟だけど
ああ生きててよかったな。と思ったし
こんな本に、こんな景色に出会えるなら
これからも頑張って生きようと思ったものだ。



好きなことがあるからこそ仕事も頑張れたし、
これまで一人でも楽しかったし、生きてこられたのに。

それなのに、そんなに好きだったことを忘れてしまうの?

好きなことから遠ざかり、ああすごく遠くにいるんだなあと自覚すること、
それは自分が自分ではなくなってしまうくらい、自分の何か、身体の一部分が欠けたような感覚だった。


そういえば昔、父がよく言ってた。
「この本、昔よく読んだなあ。好きだったなあ。」と、懐かしそうに。


好きだったなあ。


そう言えるのってどのくらい遠く離れたときなんだろう。
そのとき父は寂しい気持ちにならなかったのだろうか。


大人になると、好きなのに、ああしばらくやってないなあ。行ってないなあ。
ってことが誰しもあると思う。


そうやって、ゆっくり少しずつ好きなことから離れていき、好きなことは好きだったことになっていくのかもしれない。


そうやって、みんな少しずつ年を重ねていくのかもしれない。




だけど

だけどまだ、読書も旅行も好きでいさせて。

もう一年くらいまともに本なんて読めていないし、旅行にも行けてないけど
それでも、たとえ読めなくても、この本読みたいなあって本があること
たとえ行けなくても、こんな場所があるんだ、
いつか行ってみたいなあと思える場所があることで
わたしは明日も頑張れるから。

いくら離れても好きなことを『好きだった』なんてまだ思えない。思いたくない。
この世界に本と旅があるってだけで、それだけでわたしはまだまだ、やっぱりわくわくしてしまうから。



いまはあんまり気力がないけど
またいつか、川端康成の言葉の海に溺れたい。


途方もなく美しいあの世界に
深く深く、またいつか。



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