見出し画像

『2億4000万の鮪』

みなさん、3連休いかがお過ごしだろうか。
僕の学校は今週土曜日は授業日で、3連休とはいかなかった。が、せっかくの祝日ということで、2日にわたって、神戸まで行って街をプラプラした。都会は美味しそうなお店がたくさんあるのがいい。胃袋が無限に広がってくれればいいのにな、なんて思ったり。そんなこんなしていると、先週分の投稿をしていないことに気づき、今に至る。

今日は先週の僕の学校で行われた公開授業について。だいーぶ長くなるが、公開授業をする前からした後にかけて、考えたことを3つ、それぞれ忘れないように書いておくので、もし興味があれば読んでいただきたい。

①授業を上達させる第一歩

僕の学校には3つの研究の柱というものが存在している。その中で僕は「ICTを有効活用した授業研究」をする部に所属している。毎年秋に学園内向けの公開授業週間が設けられており、そこではそれぞれの研究テーマのもと、授業を展開していかなければならない。

タイミング的に5年生の社会科で水産業の授業を行う、ということだけ確定していて、そこにICTを面白く入れる方法にはどのようなものがあるか、夏休みあたりから授業を考えた。が、なかなかいい案が思い浮かばない。そこに先輩教員が素敵なアイデアを持ってきてくださった。

5年生の社会科のまとめ方に困っている人たちにはぜひ見てみてほしい。このサイトで上がっている動画はよく見せていたが、こんなところにこんなに素敵な教材があるとはつゆ知らず。これならICTを使いながら、今までとこれからの水産業をしっかり整理して、まとめることが出来る、と確かに思える教材だった。「これだ!」となって始めた授業づくりはとても楽しかった。

やはり、持つべきは優秀な先輩教員なのだ!
先述のアイデアをくださった先輩教員は、アドバイスをくださった後によく「この情報提供は〇〇万円分の価値あるやろ?」と冗談(?)まじりにおっしゃる。多分、これから先この借金は増えていく一方だろう。では、この借金を僕はどのように返せばいいのか。ブランド物とかを買って渡せばいいのだろうか。おそらくそれは望まれていない(実証済み)
あくまでこれは持論だが、求められているのは、自分が「持たれるべき優秀な先輩教員」になって、後輩から稼ぐ、という方法である。

一見、自転車操業にも思えるが、おそらくこれは組織の理想的なあり方だ。では、「優秀な先輩教員」になるべく、後輩教員が出来ることは何なのか。それは臆することなくたくさん借金することである。つまり、自分なりに熱心に考え、先輩教員に聞き、よりよくしようと努めることである。それが自分の成長につながり、ゆくゆくは自分の稼ぎや組織全体の稼ぎにつながる。
(ここからは先輩教員の持論でもあるが、)では、そのように努めるために必要な力は何なのか。色々あるだろうが、そのうちの一つにコミュニケーション能力が挙がってくるだろう。先輩教員との関係性はもちろん、自分の授業案の意図を伝えるのも、先輩教員と話してアドバイスをいただくのも、全てこの力が必要になる。つまり、授業がうまくできるようになるためには職場でのコミュニケーション(能力)が大切になると言えるわけである。

引用:福本伸行『賭博破戒録カイジ』/講談社より
悔しくない、むしろありがたいのだが、借金と言えば載せずにはいられない

この文章を読んだ数少ない皆さんが、今日少しでも職場の先輩後輩と柔らかい雰囲気で接することが出来ることを願う。

②目には目を、創造には創造を

公開授業日前に、模擬授業を行った。子どもたちの活動の時間を多くとる予定だったため、模擬授業はその導入とまとめ方を見ていただいたわけだが、この導入に、またも先輩教員のメスが入る。

面白い活動の前に、『面白そう!やってみたい!』と思える導入がなくてどうする

時間に縛られるあまりに、早く導入を終わらせることばかりに気を取られ、面白い授業にすることが見えていなかったのである。例えば、ということで、先生から例に出していただき、実践してみたのがこちらだ。

すると、どうだろう。一見深い学びにつながるわけもなさそうなこの工夫が、子どもたちを大きく授業に引き込んだ。

確かに最初に芽生えた関心は水産業に対する関心ではなかったかもしれない。しかし、その活動への関心はやがて水産業をまとめる感心へと変わっていった。
子どもの関心を高めるきっかけは、何もその単元における疑問や知識だけではない。時には、こういった予想だにしないところからの刺激を与えるのも一つの方法なのだ。「創造力」は言ってしまえば青天井だが、にもかかわらず、表現できない子もいるだろう。どうすべきか、を求めすぎてしまうからなのかもしれない。そんな子には、まず、教員の創造性が豊かな姿を見せよう。多少どうとでもなりそうな、作りたいと思える、その雰囲気を作る必要がある。つまり、教員こそ子供の理想像であるべきなのだ

③家庭学習に求められているもの

授業が終わった後、先輩教員からご講評をいただいた。その中で「iPadを家に持って帰って続きをやりたい、ってなるといいのにね!」という話が出た。

僕の学校では長期休業ややむを得ない事情がない限り、iPadを家に持ち帰らせてはいない。それを知っているから、子どもたちからも「持って帰っていいですか」などといった質問はない。自由に持って帰れる状態なら、何人の子がやってきてくれたのだろう…。

そんなことを考えながら、一方で僕は、そうした場合、保護者がどう考えるのかについても考えてみた。というのも、僕の学校は私立で、中学受験を見据え、5年生の時点で塾に通っている子がほとんどという状態なのだ。このような状態で、学校が終わって、塾に行き、ようやく家に帰った先でiPadで学校の授業の続きをしている我が子を見てどう思うのだろう。

偏見かもしれないが、僕が思うに保護者は「そんなことして何になる」「塾の宿題や復習を早くしてほしい」「一つでも多く単語を覚えて、点数をとれるようになってほしい」という考えを持つのではなかろうか。

となると、これは主体的な学びを阻害してしまっているわけで、本当に残念なことである。そもそも、普段保護者と子供の間でどれだけ学びに関する話やそれを深める話をしているのだろう。このあたりも気になるところだ。

そう易々と変えられるものではないのかもしれないが、教育に携わっていない人も含め、学びの在り方に対する人々の認識を変えていく必要があるのかもしれない。


考えていたことをつらつらと書いただけなので、今回は特にまとまりがなく、何が言いたいのか分からない文章になっているのが大変申し訳ない。ひとまず、僕にとって、今回の公開授業は色々思うことがあったことを忘れずにいたい。

ここまで読んでくださった皆さん、ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?