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神さまを待っている
読んだ
話題らしいから
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誰にも「助けて」と言えない。圧倒的リアリティで描かれる貧困女子の現実。文房具メーカーで派遣社員として働く26歳の水越愛。会社の業績悪化で派遣切りに遭い、失業保険を受けながら求職活動をするがどこにも採用されない。アパートの更新料や家賃、住民税、そして食費…
あっという間にホームレスになった愛は、漫画喫茶に寝泊まりしながら日雇いの仕事を始め、前の生活に戻ることを目指していたが、次第に価値観、自己認識が揺らぎ始める。同じ境遇の女性たち、「出会い喫茶」に来る客との交流。生きるために「ワリキリ=売春」をやるべきなのか。
ここまで追いこまれたのは、自己責任なのだろうか。大学に進学し、勉強や就活に励み、まじめに勤めていた女性がまたたくまに貧困に呑み込まれていき、抜け出せなくなる。
著者自らの体験をもとに描いた「貧困女子」長篇小説。
正直な話読まなければ良かったと少し思っちゃった
以下感想、ネタバレ含む
張本人の"愛"(主人公)が「わたしは大丈夫です!」っていう無鉄砲なスタンスだったのは、認めたくない受け入れたくない気持ちもあるのかな
自分は大丈夫って思い込む、正常性バイアス
「正常性バイアス(normalcy bias)」は、心理学の用語です。社会心理学や災害心理学だけでなく、医療用語としても使われます。
人間が予期しない事態に対峙したとき、「ありえない」という先入観や偏見(バイアス)が働き、物事を正常の範囲だと自動的に認識する心の働き(メカニズム)を指します。何か起こるたびに反応していると精神的に疲れてしまうので、人間にはそのようなストレスを回避するために自然と“脳”が働き、“心”の平安を守る作用が備わっています。
どん底に落ちる前で、まだ上を見上げた時の高さより下を見た時の深さがあると、「まあなんとかなるっしょ」って自分に言い聞かせちゃうと思う。そう信じたいし
奨学金もそうだし、虐待から逃げてきたっていう家庭環境もそうだし、若年層の貧困って特に解決が難しいと思う
お金ってやっぱり大切なんだなあ
したいことや欲しいものを叶えるために必要だっていうのもあるけど、まず生きるため食べるために生活なわけで、コロナ禍(って言われて何年経った?って感じだけど)で尚更感じる
わたしみたいな、家もあって働いててご飯も食べられて、な普通のOLがもし「お金がな~い」ってふわふわ言ったとしても、別に本当に死活問題ではないし。新しい服が買えない(と言っても節約したいだけで実際買おうと思えば買えるわけだし)とかちょっといいデザートを買うのを諦めるとかそのくらいのもの、切羽詰まったとしても必要な出費にまわってしまって貯金ができないとか
同年代であれど、家がないのが普通、その日のご飯の心配をするのが普通って人達も世の中にいるわけで
でも主人公の"愛"みたいに「その人たちとわたしは違う」って無意識だとしても見下すのは違うし
でも生活レベルや環境を考えると、恵まれてるって思わざるを得ないし
心が疲れて前職を辞めて、数ヵ月間ニートした時も、家賃光熱費食費その他諸々で生きるだけでお金かかることを実感してた
当時一番憎かったものは住民税(わらう)
貯金だって使えば減るだけ、当たり前
一人で暮らすアパートの家賃が六万円、食費、光熱費、スマホの通信費、生活するために必要なお金はこれくらいだ。しかし、払わなくてはいけないものが他にたくさんある。六月の半ばに住民税の通知が来た。支払い日は年に四回あり、六月末が一回目で、今月末が二回目だ。収入が多かったわけでもないのに、結構な額の請求が来た。十月には、アパートの更新料で家賃の一ヵ月半分の額が必要になる。国民年金や国民健康保険、NHKの受信料も払っている。何も見ないようにして、駅へ向かう。
親に頼りたくない気持ちはあったけど、迷惑や心配をかけたくないからだけであって、もし本当に困っても頼ろうと思えば頼れたっていう状況だった
あと多分二十代後半女子なら一度は感じたことがあるであろう気持ち、なんとなく共感しちゃった
正社員になれなかったとしても、二十代のうちに結婚して、専業主婦になれると考えていた。結婚すれば安心というわけじゃないけれど、生活費を出してもらえるようになる。あと四年の間に、結婚相手と巡り合えるとは、とても思えない。転職もできそうにないし、これからどうしたらいいのだろう。
「どうしよう」「どうしよう」って、一度貧困に陥ったら思考回路が狂うというか冷静な判断もできず堕ちていくんだろうなと思うと怖い、けど完全に自分とは関係ないって言えないことも怖い
あと愛がホームレスになってから、顔がきつくなったって自分で感じるシーンが何度かあるんだけど、金銭的だけじゃなくても精神的な余裕の無さとかは本当に顔に出ると思う
愛には友人である雨宮が"神さま"として存在してくれていて、そこで元の生活に戻れる喜びや生きる活力みたいなものを見出したけど、それでナギを救いたいっていうのも違うよな~って読みながらモヤモヤしてた
お節介というか偽善っぽいというか、所詮ただの他人なんだから一生面倒見るなんて不可能だし、中途半端に手を差し伸べてナギみたいな女の子を深い沼から救ってあげても、まだ片足突っ込んでるんだから手を離せばまた沈んでいくでしょ
特にナギは性的虐待を経験して、自分を正当化するためにその環境にいるのかもしれないから、愛が「普通」と思う環境に引っ張り出しても戸惑うし、正当化して保ってた心が壊れちゃうかもしれない
発達障害か知的障害があるサチさんだって、将来どうなるかわからなくても、子どもといる今が幸せって思えてるんだし
(全然関係ないけど風俗とかで働く女の子には軽い知的障害を持っている子が多いってよく聞く、その仕事自体は悪いことじゃないと思うけどそれで悪い人に騙されたり危険なことに手を出したりする人がいると思うと、周りの人たちって大切)
何が辛いかなんて人によって違う
個人的に主人公が周りに流されるわりにプライドだけは高くて、周りを見下しているわりに自分を客観視できていない感じがしてあんまり好きじゃなかったの。その世界に入っても、「自分は違う」って線を引いている感じ(そう思いたくなるのも普通だけど)
信号を渡れば、向こう側に行くことは、簡単だ。それなのに、目の前の通りが、どうしたって渡れない深い川のように見える。こちら側にいる月日が長くなればなるほど、水嵩が増し、橋は流されてしまう。こちら側と向こう側では、世界が違う。わたしはずっと向こう側で生きていて、こちら側に来るなんてありえないことだと考えていた。こちら側にいる人たちの生活を想像したこともなかった。
例えばだけど人間って、自分より良い仕事をしている人や良い場所に住んでいる人、良いものを持っている人、そういう人はすごく視界に入ってくるし「いいな~~~」って思うでしょ。けど、(言葉は悪いけど)自分より恵まれていない人、それこそ家がなかったり仕事がなかったり愛をくれる人がいない環境だったり、そういう人たちのことはあんまり考えない
自分が一番つらいって思ってしまうんだろうな~って
「マユちゃんがどうしていなくなったのか、ちょっとわかるな」冷蔵庫を開けて、サチさんは三本目の缶ビールを出す。「どうしてですか?」「愛ちゃん、わたしたちとは違うもん」「どこが?」「戻れる人だから」「……どういうことですか?」「わたしやマユちゃんには、就職なんて、アイドルやお姫様になりたいっていうのと同じくらい、夢みたいな話でしかない」「そんなことないですよ」「そんなことあるんだよっ!」サチさんは声を荒らげて、開けたばかりの缶を玄関に投げる。ビールがこぼれて、靴が濡れていく。「サチさん、落ち着いてください」
ただ「そこ」にいるからって「それ」に納得して満足しているわけではないし
マユやナギ、サチさん、それぞれの事情があってこの環境に置かれている女の子たちの話もなんだか読んでいてモヤモヤするんだけど、わたしが一番感情移入というか傷ついた感覚になったのはやっぱりケイスケさんとのこと
愛が働く出会い喫茶に来るお客さんの一人で、女の子の時間を買うかわりに見返りを求める男性の中でまともに見えた人
愛自身、
好きになってはいけないと考えると、転げ落ちていきそうだ。
って感じるんだけど、大前提の感情が
大学生や派遣で勤めていた頃、男の子からの誘いをまだ無理と断り、駄目になったことがあった。しかし、大丈夫と決断して、駄目になったこともある。ケイスケさんのことはまだよく知らないし、早いと思う。だが、大学生や派遣で勤めていた頃の相手とは違い、付き合うかどうかという判断を迫られているわけではない。ホテルに行ったところで、恋人にはなれない。それとも、そこでちゃんと自分の気持ちを伝えれば、先に進めるのだろうか。わたしが今までのことを話して、どうして出会い喫茶にいるのか説明したら、ケイスケさんならばわかってくれる気がする。彼がわたしの「神さま」になって、この街から連れ出してくれるかもしれない。
そこまで言うのならば、恋人として、付き合ってもらいたい。ケイスケさんが彼氏になり、一緒に暮らしてくれれば、わたしはホームレスから脱することができる。いい会社に勤めているみたいだし、広いマンションに住んでいるのだろう。女の子一人くらい、部屋に置けるんじゃないかと思う。
「助けてくれるかも」「この人は他の人と違う」っていう感情を抱いてそれが無意識に「好きかも」に繋がってるんだけど、この場合いる環境が環境だから、ケイスケさんがとっても素晴らしい男性に見えてしまっただけで
ここ読んでる時大好きな月と六ペンス思い出してた
夫への愛にみえたのは、じつは、与えてもらう愛情や快適さに対する反応に過ぎなかったのだろう。
この"ケイスケさん"との結末、いち女性としてとても不愉快だったというか傷ついたというか
でもそういうものなのかもなあって冷めた気持ちで読んでるわたしもいた
わたし相当自分が入り込めた本じゃないと解説は読まないんだけど、ページをめくって一番最初に「本を閉じたとき誰かの叫びを聞いてしまった」とあって、なんかとても共感した
あと私立大学行って奨学金借りてるお前が言うなだけど、奨学金は本当に国公立だけにしたら良いと思うし、大学へ行く選択ももっと少なくなって良い気がする
就職のために大学行く、なんとなく大学行く、大学行かないとダメかなと思って、そんな理由で奨学金を借りて大学を出て、奨学金に苦しむなんて本末転倒
女性である限りやっぱり自分を売るというか(椎名林檎の歌詞を思い出す)、武器にできると思われることもあるけど、そうせざるを得ない人も多くいるし
読み終わった後も気持ちが沈む本
「自立」とは依存先を増やすこと
(熊谷晋一郎さん、脳性麻痺を抱えている方の有名なお言葉)
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おまけ
良くないことなんだけど、なんか描写が好きだった部分
あまりにも美しくて、ナギに近づくのは危ない感じがする。近くに立つだけでも、彼女からは何人もの男のにおいがした。それなのに、男となんか話したこともないような顔をして、世界を見ている。
あと、目次が良かった(一部だけど)
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noteで感想書いてる本って「また読みたい」(前述した月と六ペンス、アルジャーノンに花束を)か、「もう一生読まない」(明け方の若者たち、静かに、ねぇ、静かに)の両極端な気がする。この本は後者
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